岩ちゃんの昼食は豪勢だ。弁当箱と筒型のステンレスジャーを、いつもセットで持ってくる。
ご飯入れはナントカ印の保温ができる優れものらしく、岩ちゃんいわく「魔法瓶のメシ版?」とのことだ。
岩ちゃんがそれを持ってくるようになったのは高校に入ってすぐの頃だった。それまではタッパーに入った冷ご飯を無表情に食べてた岩ちゃんが、昼休みにそわそわしながら保温ジャーのフタを開けたときのこと、今でもはっきり思い出せる。一口食べて「……人肌ぐらいかな」なんて微妙なコメントをしてたけど、冷ご飯よりはよっぽどよかったらしい。ふんわりした人肌ご飯を嬉しそうに食べる岩ちゃんはなんとも微笑ましかった。ちなみにこの保温ジャー、武器として使われるとバレーボールの比じゃないくらい痛い。
弁当箱のほうは、中学のときからずっと変わらない。黒い長方形の二段重ね型だ。一番上のフタの中に内蔵されてる短い箸は岩ちゃんのお気に召さなかったみたいで、普通の箸を箸箱に入れて持ってきている。
ご飯は別盛りだから上下段ともおかずが詰められているわけなんだけど、これがいつもおいしそうなんだ。
ゴマ入り、ほうれんそう入り、とろけるチーズ入り。たまご焼きのレパートリーひとつとっても十種類以上は見た気がする。昼食は基本的に買い食いの俺にとって、それがどれだけ感動的か。そんなこと多分知らない岩ちゃんは、つやつやしたきんぴらにんじんも、薄い衣のついた鮭のムニエルも、当たり前のように胃袋に収めていく。きれいな緑色のバランは最初に全部抜き取ってしまうし、終いには「揚げ出し豆腐は弁当には入れられねーんだとよ」なんて愚痴までこぼしてくる。岩泉くん、君がモテないのには多分そのへんが関係してます。
ちょっと話が逸れた。
料理上手なおばさんのおかげで、昼食をはじめ食事にはこと恵まれている岩ちゃんは、とにかく昔から食べっぷりがよかった。俺だって少食ではないし好き嫌いもあまりないけど、岩ちゃんには到底敵わない。俺が口に出して本人に「参りました」と言ってやってもいい、岩ちゃんの強みなのだ。
「……俺、メシ食ってる意味あんのかな」
だから今、向かいで弁当箱を空にした岩ちゃんがぼんやりとそんなことを呟いたのを聞いて、俺は大変びっくりしている。
練習前はむさ苦しくなる部室も、昼休みの今は人気がなくて、俺と岩ちゃんの貸し切り状態だ。
昼飯の前にちょっと自主練しようと思っていたんだけど、今日は開放日とかいうやつらしく、体育館は好き好きにドッジボールやミニバスをする奴らで溢れ返っていた。仕方ないからソフトバレーボールで遊んでる女の子達の仲間に入れてもらおうとしたら、モテない岩ちゃんに思いっきり硬いほうのバレーボールをぶつけられて、部室まで強制連行された。二人きりで昼飯を食べたいならそう言えばいいのに、ほんとに岩ちゃんは猟奇的すぎて困る。
で、とりとめのない話をしながら昼飯食べて、一息ついてたわけですが。
弁当箱を重ねて元通りバンダナで包んでいる岩ちゃんの眉間に、くっきりとしわが寄っている。岩ちゃんがこういう顔をするのは、ちょっと機嫌が悪いときだ。極力関わりたくないけど、まずいことに俺は今岩ちゃんに話を振られたばかりだった。流すと多分もっと怖い。岩ちゃんのそばにバレーボールが転がっているのを確認し、観念した俺はあぐらをかいた岩ちゃんを見た。
「急にどしたの岩ちゃん」
「うっせーな」
「えっ自分から振ってきたのに!? 『俺……メシ食ってる意味あんのかな……』って言ったよね?」
「真似すんなボゲ! ……言ったけど!」
どのみち罵られるコースだったけど、ボールをぶつけられなかっただけマシだ。身構えてた俺はほっと息をついて、牛乳パンを一口かじった。
「そりゃ食ってる意味あるでしょ。全ての食べ物は、岩ちゃんの血となり肉となりパワーとなる! 毎日バレーできてるのも、メシ食ってるおかげです!」
「お前に正論言われるとムカつくわ」
なんで舌打ちされたの俺、超かわいそう。
岩ちゃんは弁当箱の包みを脇にどけて、紙パック飲料にストローを刺した。飲むヨーグルトだ。岩ちゃんがお茶やスポドリ以外のものを飲むのは珍しかったから、俺はその通りの感想を率直に言った。そしたらストローをくわえた岩ちゃんが「多分カルシウム足りてねーから」なんて言うものだから感動してしまった。自分の短気さよくわかってるんじゃん。
「つーかお前がムカつく」
「なんで? 女の子にモテモテでイケメンな及川徹くんがおもしろくないとか? 男の嫉妬はみっともやめて!ボール構えるのやめて!」
「……グズ川お前さ、今日の朝飯何だった?」
「またそうやってひどい呼び方する…… なに、朝飯? 今日はコーンフレークだったけど」
「昼は?」
「今食べてるじゃん。これだよ」
食べかけの牛乳パンを見せる。二つ買ったうちひとつはもう食べてしまったから、これを食べたら今日の昼飯は終わりだ。岩ちゃんの真似して、あとで飲むヨーグルト買ってもいいなぁ。
世話焼きおばさんみたいな質問をするだけしておいて、岩ちゃんは黙った。何も言わない岩ちゃんを後先考えずついからかいたくなってしまうのは、俺の昔からの持病だ。にじり寄って、俯いた顔を下から覗き込んだ。
「岩ちゃん、俺専属の管理栄養士にでもなってくれるつもり? そういうのはできれば可愛い女の子にお願いしたいけどぉ、まあ岩ちゃんでもいいカナッ☆」
「おい」
「わっ、暴力反対!」
ドスの効いた声に慌てて頭をガードしたけど、ボールも拳も飛んでこなかった。代わりに紙パックを置いた岩ちゃんに胸ぐらつかんで立たされて、背筋がひやっとする。
まって、わりと本格的な暴力がくる感じ? おかしい。岩ちゃんのマジギレライン、いくらなんでもここまで低くはなかったはずだ。
「……なんでだ」
「え?」
「お前、そんな食事で何スクスク育ってんの?」
思わず目を見開いて、岩ちゃんを凝視した。上目遣いならもっと可愛くやってほしい。俺の目線よりちょっと低い位置からガン飛ばしてくる岩ちゃん、めちゃくちゃ怖い。
でも、言ってる内容は可愛いヤキモチだ。栄養のあるものをいっぱい食べる岩ちゃんと、適当なものをほどほどに食べる俺。背が高いのは、どういうわけか俺のほう。岩ちゃんが伸びるのとほぼ同じ時期に俺も伸びるから、俺と岩ちゃんの間にはいつも数センチの身長差がある。
気に食わないかい、岩泉くん。神様は不平等なんだよ。
「それは俺が俺だから……かな」
「……」
「そんな目で見ないでよ! 岩ちゃんだってさ別に小さくないじゃん! 180あるでしょ?」
「179だよクソ及川ぁ……つーかおめーに小さくないとか言われても死ねとしか思えないから黙れ」
「ひどい!」
暴言を吐くだけ吐いた岩ちゃんは、イラ立った顔のまま俺の胸ぐらから手を離して、床に立てて置いてた紙パックを拾い上げた。カルシウムが足りてないから飲むヨーグルト。なるほど、殊勝なことで。そういや最近よく、弁当のおかずに小魚やら個包装のチーズやらが入ってたなぁと思い出す。あれもカルシウム摂取のためだったんだねと言ったら、ストローから口を離した岩ちゃんは心底嫌そうな顔で、なんで人の弁当のおかず覚えてんだよ気持ち悪いと返してきた。いったい何がここまで彼を辛辣な子にしたの?
身長、わざわざ言ってくれなくてもちゃんと知ってる。正確には179.3センチで、俺との差はちょうど五センチだ。
とはいえ岩ちゃんもだいたい180センチあるわけだから、今言ったように小さくはない。でもそれはあくまで平均と比べたときの話で、俺からしてみれば、やっぱり岩ちゃんは小さいんだ。実際よりも余計に小さいものとして見ている自覚は十分にあるけど。
中学に入った直後くらいまでは岩ちゃんのほうが背が高くて、ことあるごとに、上からゲリラ豪雨よろしく文句悪口その他もろもろを浴びせかけられたものだった。そんな威圧感たっぷりのデモンズウォールの背を追い抜いたときの俺の感動と衝撃、お分かりいただけるだろうか。身体測定の結果を見せ合ったときの、岩ちゃんのびっくりした顔、今でもはっきり思い出せる。
『俺よりでかいから何なんだよ、バカ及川』。俺の身長に対する岩ちゃんのコメントは、後にも先にもそれだけだったはずだ、今日までは。
「そっかそっかあ、岩ちゃんがいっぱい食べるのって、俺を抜かしたいからだったのかあ」
「はあ? 腹が減るから食うんだろが。そんで、食ってるわりにあんま伸びねーなってちょっと思っただけだろが! 俺の問題であってお前はどうでもいいんだよ!」
「思いっきり僻んだくせに」
「うるせー!」
真正面から飛んできたボールを間一髪でかわす。命中していたら見えなかっただろう岩ちゃんの顔が、ばつが悪そうに赤らんでいくのがわかった。
俺は、ものを食べているときの岩ちゃんが好きだ。言葉少なにたくさん食べる岩ちゃんを見てると、なんだか元気が出る。
おいしいとかまずいとかあんまり顔に出さないで、何でも当たり前のように平らげる岩ちゃん。その頭の中に、少なからず俺の姿があると思っていいんだよね?
「おい……ニヤニヤしてんじゃねーぞ」
「し、してないから!」
昼休みの楽しみが、ひとつ増えたな。岩ちゃんには絶対言えないけど。もうお前とは弁当食わねえ、なんて、ゼロ距離スパイクつきで言われかねないから。
ヨーグルトを飲み終わったらしい岩ちゃんが、ストローを押し込んで紙パックを畳む。カルシウムはそれで足りたのかい?
深くため息をついた岩ちゃんの目の前に、俺はしゃがんだ。半分ほど残っている牛乳パンを差し出す。顔を赤くしたままの岩ちゃんが、ぎろっとこっちを見た。
「んだよ」
「一口食べていいよ」
「はあ?」
「もしかしたらこれかもしんない、俺の高身長の秘訣。だってほら、牛乳パンだし」
岩ちゃんは一瞬きょとんとした。その眉間にはまたすぐにしわが寄ったけど、怒ってはいなかった。
「……んなわけあるかよ」
そう言いながらも俺の手元に顔を寄せ、岩ちゃんは大きく口を開けて牛乳パンに食らいついた。三口分ぐらいはありそうな一口を食いちぎって、いつものように黙々と咀嚼し飲み込む。うん、それでこそ岩ちゃんだ。
甘くておいしい牛乳パン。きっと微々たるカルシウムしか入ってないとは思うけど、問題ない。岩ちゃんが唇についたクリームを拭いながら「案外うめぇな」って呟いたのを聞けたから。
俺も残りを食べて、空き袋を縛る。そろそろ昼休みも終わりだ。
「飲むヨーグルト買おっかな。岩ちゃん見てたら飲みたくなった」
俺もカルシウム摂ろっと。
部室に鍵をかけながらそう言ったら、忌々しそうにこっちを見上げた岩ちゃんに久々に保温ジャーで小突かれ、俺はしばらく悶絶したのだった。