立花仙蔵は好き嫌いが激しい。食べ物ではなく女の話である。
 スクールバッグの三分の一は占めていそうなでかいポーチを机に置き、休み時間をフルに使ってナチュラルメイクを施す女子。
 ブレザーの下にわざと大きめのカーディガンやらセーターを着て、袖口からちょっとだけ指先を出して内またで歩く女子。
 普通の会話でも巧みに上目遣いを駆使し、隙あらばボディータッチを仕掛けてきて無邪気に笑ってみせる女子。
 以上が立花が特に敬遠するタイプである。ついでに言うと、ギャルはうるさい、大人しいのはつまらない、そして体育会系は疲れるからそれぞれ論外だ。
 もはや「女子が嫌い」と言ってもいいレベルかもしれなかった。それは周りにも知れていて、立花はゲイなんじゃないかと噂される程度には有名な話なのだが、それでも顔のいい彼に言い寄る女子は絶えない。必死の告白を最後まで受け止められたうえでばっさりフラれ、翌日泣き腫らした目をわかりやすく立花に向けてくる女子がいる限り、立花がいつまでも同級生の間でゲイ説を囁かれるのは明らかだった。
 立花は周りが自分をどう見ているのかよく知っているが、別段気にしてはいない。むしろ、そんなことでゲイだと思われているのが愉快ですらあった。そもそも、もし本当にゲイだったとして、だったらどうしたという話である。
 動じない理由はもうひとつある。一部の友人しか知らないことだが、立花にはすでに恋人がいる。ちなみに女子だ。世の中うまくできているもので、神様はこんな立花でものめり込めるような人間を、ちゃんと身近においてくれていたのだ。
 そういうわけで、今更同級生にどう思われようと、どう転ぼうと、立花には痛くもかゆくもないのである。

 日の暮れかけた通学路を、立花は足早に歩いていた。
 今日は彼女とファミレスで会う約束をしていたのに、放課後同学年の女子に愛の告白をされるという足止めイベントが入ってしまったのだ。
 立花とは全く面識がなく、さらに彼が嫌いとしているタイプそのものの女子であったが、立花はいつものように最後まで告白を聞いたうえで、角を立てず、真摯に、かつ容赦なくお断りした。泣き出したその女子が走り去ってしまったため最低限のフォローもできなかったが、急いでいたので正直言って助かった。
 彼女とは現地で待ち合わせをしている。行き慣れたファミレスに入り、寄ってきた店員に連れが先に来ている旨を告げてから、立花は店内を見回した。
(…いた)
 窓際の席に、近所の女子高の制服を着た彼女──潮江が座っていた。量の多い黒髪に指を通しながら、眉間にしわを寄せてスマホをいじっている。時折窓の外を見るのは、立花を探しているからだろう。
 立花が近付いていくと、潮江はぱっとこちらを見た。不機嫌顔でスマホを伏せ、ふうとひとつ息をつくその仕草に、立花の頬は知れず緩む。
「遅い! 遅れるなら連絡入れろよ、バカタレ!」
 とりあえず頼んでいたらしいドリンクバーのグラスが、結露してテーブルに水の輪を作っている。噛まれてぺったんこになったストローで薄まったメロンソーダを吸い上げ、潮江は席についた立花をじと目で睨んできた。
 悪い悪いと軽く謝って、立花は大きなメニューをスタンドから引き抜く。不満げな表情のままメニューを見た潮江の視線が、旬のマロンフェアの文字をとらえてぴたりと止まった。特製モンブラン、と小さくつぶやいたのは、おそらく無意識だ。
「遅れて来たんだから奢れよな」
「私よりも安いのを頼むんだったらいいぞ」
「はぁ? ……じゃあ仙蔵これにしろよ」
 ページをめくって潮江が指差したのは、2000円弱のステーキセットだった。メニューの中でも高い部類に入る。
「ステーキの気分ではないな」
「じゃあ何でもいいからわたしより高いの早く決めろ。1080円以上のやつな」
「その金額はどういう計算で出た?」
「まず、わたしはこのモンブランが食べたい」
 潮江の人差し指の先を追って、立花は別紙になっているマロンフェアのメニューを見る。潮江が目をつけた特製モンブランは780円とのことだ。こちらも、ファミレスのデザートにしてはやや高い。
「で、ここに今飲んでるドリンクバーの300円を足す。そしたら1080円になるだろ」
 金銭面の話となると細かい潮江は鬱陶しくもあるが、将来のことを考えるとむしろ頼もしい一面である。
 ごく自然にそんなことを考えながら、立花は視線をメニューから潮江に移した。
 左右で少し形の違う目の下、うっすらと隈ができている。生徒会に所属しているという彼女は、いつも夜更かしだった。立花が手を伸ばして目元に触れると、潮江は反射的にぎゅっと目を閉じた後、文句あんのかと言わんばかりの眼差しで「これでも隠してんだよ」と言った。隠してこれなら、すっぴんではどんなことになっているのだろうか。
 付き合ってそろそろ半年になるが、立花はまだ素顔の潮江を見たことがない。一緒に眠りについたことも、朝を迎えたことも、服に隠れた素肌に触れたことも、まだない。隣のクラスの品行方正で寡黙な友人に「……清いな」と感心したように言われるくらいには、清純な関係である。
 一線を越えたいと思ったことがないと言えば嘘になる。彼女に対する愛おしさが沸点に達して行き場をなくしたとき、最終的に頭をもたげるのは性欲だ。もしもこうして付き合っている相手がこの潮江ではなく、今まで告白してきた、見た目を磨くことと自分に気に入られることだけに全力を注ぐような女子であったら、とっくに抱いてしまっていたかもしれない。あまり深いことを考えず、勢いで。高校生ならきっと珍しい話ではない。
 しかし潮江には、立花にそんな行動をとらせない何かがあった。
「早く決めろって」
 媚びのかけらもない言動とか、真っ直ぐにこちらを見る瞳とか、甘さのない声音とか。
 全部独り占めしていい権利があるとわかっているのに、立花はどうしても一線を越えられない。
 もどかしい反面、今はまだこのままでいいかと思う自分がいるのも事実で。これまた隣のクラスのバレー部エースが聞けば、「何だよ仙ちゃん、意外と奥手だなあ!」くらいは言われてしまいそうな体たらくであった。
「仙蔵!」
 いい加減焦れたらしい潮江が、ぎりぎりとストローを噛む。ぺったんこでさらに穴まであいてしまったそれが、もう本来の目的を果たせないだろうことは明らかだった。
 メニューのことなどこれっぽっちも考えていなかった立花は、呼び出しボタンで店員を呼び、結局潮江の薦めたお高いステーキセットを注文した。一緒につけるのはライスかパンどちらにするかときかれ、腹に溜まるライスを選んだ。
 その後、「それと、一緒に特製モンブランを」と付け足すと、視界の端で、潮江の眉間のしわが嘘のようにすっと姿を消した。
「単純だな」
 メニューにあるモンブランの写真を眺めそわそわしている潮江にからかうように言ってやると、強気な眉がまたぴくりと動く。しかしそれが中央に寄るよりも早く、さっきの店員によって、ステーキセットのサラダと特製モンブランが運ばれてきた。
「……まあ、特製なんて言っても所詮は出来合いかあ」
 あまりの早さに、潮江は現実的なぼやきを漏らす。だが冷めた言葉とは裏腹に、わかりやすく声が弾んでいる。
「先に食え。ぬるくなるぞ」
「でもそしたら、お前のステーキが来る前に食べ終わっちまうけど」
 無愛想に気遣わしげなことを言った潮江に「ドリンクバーで付き合ってくれればいい」と告げると、彼女はそれもそうかと頷いた。
「いただきます」
 神妙な顔で手を合わせ、潮江はフォークを取る。ゼラチンでつやつや光る栗を眺めた黒い瞳がほんの少し緩むのを、立花は見逃さなかった。そんな目が立花に真っ直ぐ向けられたことは一度だってないし、「幸せだ……」なんていう呟きが、立花に対して囁かれたこともない。
「ちょっと食う?」
 そのくせ、大好物のモンブランの最初の一口をフォークで大きめに取り、当たり前のようにこちらに差し出してくるのだ、潮江という女は。
「……ああ」
 立花は先ほどの潮江に負けないくらい神妙な顔で頷いて、身を乗り出し、こっくりと甘いモンブランに食らいついた。

 立花仙蔵の好き嫌いは、食べ物に限ればわかりやすい。
 きっと潮江は知らないだろう。自分の彼氏は基本的に何だって食べられるが、唯一甘いものだけは受け付けない、なんて。

(※ただし、心底惚れた女子直々に食べさせてもらった場合は除く。)