I’m Lovi’n You

通学路にあるファストフード店では、今日から期間限定メニューが始まったらしい。大混雑のレジ前からなんとか抜け出てきた俺たちは、確保しておいた隅っこの席に乗り込むみたいに腰を下ろした。
 小さなテーブルは、トレイをひとつ置いただけでほとんどスペースがなくなってしまう。窓際のカウンター席のほうにはわりと空きがあって、左右にゆとりがあるぶん窮屈さはマシかもしれないが、俺はあの高い椅子が苦手だ。足がほとんどつかなくて落ち着かない。
 俺がトレイの上に紙ナプキンを広げてポテトをあけるのを、向かいに座った連れがじっと見ている。色黒で背が高い細マッチョの男で、まるでサーファーみたいな雰囲気だけど、ブレザーの制服を隙なくきっちり着込んでいる。そして、それがすごく似合ってる。
 荷物を地べたに置きたくないタイプらしく、椅子の背もたれと背中の間に校章の入ったカバンを挟んでいる。カバンがあるぶん男は椅子に浅く座っていて、そのせいで余計にテーブルまわりが狭く感じる。
「月島、これを見ろ」
 上体をひねってカバンをごそごそしながら呼び掛けてくるこのひとは、別に友達ってわけじゃない。学校も違うし、知り合いでもない。今日初めて、それもほんの二十分ぐらい前に会った。他人に毛が生えたようなもんだ。
 それなのに俺を当然のように呼び捨てして、命令口調で「見ろ」とか言ってくるんだから、なんていうかめちゃくちゃエラそうだ。でも、先輩なのかもしれないっていうのも置いといても、不思議とそんなにイヤな感じはしない。
「なんですか?」
 短く応えながら、俺はポテトをつまむ。このポテトも、まだ開けてない十五ピースのナゲットも、二人分のドリンクも、全部彼がおごってくれたものだ。
 体ごとこっちに向き直った彼は、カバンから財布を取り出していた。指の長い大きな手に似合う、ブランドものの高そうな長財布。さっき会計をしてるときも見たが、俺の財布とは黒い以外の共通点が見当たらない。入ってる金額も多分、二、三千円とかではないと思う。
 でもこのタイミングでまた財布を出してくるってことは、やっぱり割り勘にしたいって言うのかもしれない。
 ファストフードは安くない。テレビのインタビューなんかで社会人でも「高いです」って言ってるくらいなんだから、俺たち高校生にとっちゃなおさら高いよな。
 俺はトレイの上を探って、紙ナプキンの下敷きになっていたレシートを引っ張り出した。ちょっとポテトの油が染みている。
「レシートここにありますよ。俺も半分出すんで」
「え? いや要らんが? お前も出したらお礼の意味ないじゃないか」
 財布事情を気遣った俺の申し出は、「何言ってんだ?」みたいな顔であっさり一蹴されてしまった。
 お礼。そう、確かにこの店に入ったのはそういう名目だった。そんなたいした恩を売ったつもりはないけど。
 今日の下校中のことだ。前のほうを歩いてたこの男がポケットからスマホを出した拍子に、ハンカチが落ちたのが見えた。で、本人は落としたことに気付かずにずんずん進んでいくから、俺がハンカチを拾って、チャリで追いかけて渡した。
 ……それだけ。ほんとにそれだけの話だ。そんなんで赤の他人にいちいちお礼なんてしてたら、いくら金持ちでもそのうち破産しちまうだろって話だ。
 でも、どうも彼にとっての俺は、赤の他人ってわけじゃないようだった。
 俺がハンカチを手に「待って、落としましたよ」と声をかけたとき、勢いよく振り向いた彼は「ありがとう」でも「すみません」でもなく、掠れた声で「月島?」と言ったのだ。
「月島っ! お前、月島だよな!? 月島基だろ!?」
「え?」
「あ、違う名前なのか?」
「いや……えっと、すみません、どこかで会ったことありました?」
「……私がわからないのか?」
「はあ。人違いじゃないですかね」
 俺はそう答えながらも、いやその線はないなとすぐに気付いた。だって、人違いなら俺の名前をいきなり正しく呼んだりはしない。
 近所のじいさんばあさんとか、因縁つけて喧嘩吹っかけてくるガラ悪い他校生とかならともかく、こんな育ちの良さそうな同年代の男にフルネームを把握されてるのってけっこう不気味だった。
 さっさと逃げちまおうとしたら、俺がチャリのハンドルを傾けたのに気付いた男はキエッと変な声を上げて、素早く進路に回り込んできた。
「ちょっ、危ねえっ!」
「待ってくれ! ハンカチの礼をさせてほしい! 今から!」
「いやいいってそんなの、帰るんで俺、どいてください」
「頼む、月島ぁ!」
 チャリのカゴをぐいぐい押しながら必死の形相で見つめられて、さすがに怯んだ。ちょっと人目が気になってきたのもあって、これ以上めんどうなことになっちゃたまらんと、俺は仕方なくそこで折れた。
 ジュース一本とかで気が済むだろと思ってあたりを見回したら、自販機もコンビニもない代わりに、赤地に黄色のMの見慣れた看板が目に入った。
「じゃあそこでポテトおごってください。それでいいですか?」
 看板を指して俺が言うと、男は食い気味に「ウン」と頷いた。俺がチャリを押しながらアプリでクーポンを探してる間、寄ったり離れたりしながらこっちをガン見してきてくるから落ち着かなかった。
「うろちょろしないでください」
 我慢できずそう文句を言ったら、男は目を見開いたあとなぜか嬉しそうな顔になって、俺の左隣にポジションを定めた。
 その目がなんだか潤んでる気がして、意味がわからないからよく見てみようとしたら、男はごまかすように俺のスマホを横から覗き込んで、「これも買え」とたまたま画面に出ていたナゲットを勝手に追加してきた。
 ポテトだけでいいと言おうとしたけど、「飲み物はどうする? 私はアイスコーヒーがいい。あるよな?」と曇りなき眼で言われて、あ、テイクアウトで帰してくれるとかじゃなくて店でこのひとも一緒に食べるつもりなんだとわかり、なんかもうどうでもよくなってアイスコーヒーとコーラを追加した。で、店に着いて、席取って、クーポン使って注文して、今に至る。

 

 俺から奪い取ったレシートを財布にしまい込んだ男は、入れ違いみたいに一枚の分厚いカードを取り出して、こっちに差し出してきた。財布を出した理由はこれだったらしい。コーラを飲みながら、俺はカードを受け取る。
 隣町の有名な私立進学校名の下に、「生徒証明書」と書いてある。俺が持ってるような生徒手帳とは違う、しっかりしたプラスチックのカードだ。顔写真も直接貼ってあるんじゃなくて、ツルツルした表面にきれいにプリントされてる。私立ってこんなとこにも金がかかってるんだなあ。
 所属は高等部1−Aとある。なんだ、同い年じゃないか。
 顔写真の隣にある「鯉登音之進」という文字は、普通に考えてこの男の名前だろう。でもこれ、何て読むんだ?
「こい…こいのぼり……? おとの、しん」
 勘で読み上げてみると、真正面からじっと見てきてる男の眉毛がピクッと動いて、「コイトだ」と低く訂正された。いや、初見じゃ読めないぞこれは。
「コイトオトノシン?」
「うん」
「へー、かっこいい名前ですね。俳優みたいで」
「……よく言われる」
 アイスコーヒーの紙コップにストローを挿しながら、こいのぼりもといコイトはまったく謙遜せずにうなずく。言われ慣れてはいるみたいだが、赤くなったほっぺたを見るにけっこう嬉しかったみたいだ。変わった眉毛の主張が強くて意識してなかったけど、よく見りゃコイトは顔もかなりいい。彫りが深い。名前だけといわずほんとに俳優って言っても通りそうだ。
 コーヒーを一口飲んでから、コイトはまた俺を見て、改まった声で「なあ」と言った。
「名前を見ても思い出せないか? 私のこと」
 俺はコイトをじっくり見つめ返してから、手元の生徒証の名前をもう一度確認した。
 鯉登音之進。こいとおとのしん。
 こんな名前、一度見たり聞いたりすれば絶対忘れないはずだ。まして、本人は高一にして一人称が自然な「私」で、顔が良くて、こんなに上から目線で自分勝手なのになんか妙に憎めない奴ときてる。インパクトは相当強い。
 でも。
「……思い出せないな」
 これまで生きてきた十五年の記憶を今たどれるだけたどってみても、やっぱり、何も引っかからなかった。
「中学、一緒じゃないですよね?」
「うん」
「小学校…も違うよな。じゃ保育園か…? どこでした?」
「私は幼稚園からずっとここだ」
 コイトが生徒証の学校名の部分を指でつつく。うーん、ボンボンめ。
 ていうか、なんでこんなクイズみたいな流れになってるんだ。コイトのほうはいつどこで俺のことを知ったのか、もったいぶってないでさっさと教えてくれりゃいいのに。
「そっちはなんで俺のこと知ってるんです?」
「それは……」
 コイトは一瞬目を伏せて言い淀んだが、すぐにまた俺と視線を合わせて、ぐっと身を乗り出してきた。テーブルは小さいしデカいコイトは浅く座ってるしでただでさえ圧迫感があるのに、近い近い、顔が。
「わいが思い出すまでおいからは言わん。じゃっで、これからもおいと[[rb: 会> お]]てほしか」
「えー……まあいいですけど。ほんとにワガママですねあなたって」
「えっ」
「えっ」
「……思い出したのか!?」
「いや何も?」
「キエエェッ! ないごて!」
「なんなんだ」
 俺の言い方が悪かったのか、何やらお気に召さなかったらしい。いちいち感情が忙しいひとだ。こっちは初対面から振り回されっぱなしなんだから、嫌味ったらしい言い方のひとつぐらいしたくなるってんだ。
「あー、ほら、ナゲットも食べましょう。冷めたらおいしくないし」
「食べたことない」
 コイトがぶすっとしたまま言う。食べたことないのに選んだのかよと言いたいのをこらえて、まだほんのり温かい箱を開ける。ああ、腹減る匂いだ。
「……月島。その小さいのはソースか。かけるのか?」
「いや、食べるときにつけるんです。こうやって」
「あ、そうなの」
「ポテトつけても美味いですよ」
「ふーん……なあ、月島。さっきから思ってたんだが、おまえって今中学生か?」
 ソースをつけたナゲットを食べようと開けた口で、俺は「はあ?」と言った。低い声が出た。こめかみがピクッと引きつる。
「高校生ですけど」
 お礼だとか言いながらナメたこと言ってくれるじゃねえか。俺も生徒手帳見せてやろうと思って学ランの内ポケットに手を入れたけど、ない。昨日バイトの届け出のやり方を確認したあと、多分そのまま家に忘れてきた。口で身分証明するしかない。
「俺も高一。タメです」
「なら、なんでずっと敬語なんだ?」
 ああ、そういう文脈だったのか。勢い余って「喧嘩売ってんですか?」とか言わなくてよかった。
「なんでって言われても困りますけど」
 持ったままだったナゲットを口に放り込む。期間限定サワークリームソース、美味い。
「タメなら普通に話してくれて問題ないはずだよなあ、月島?」
 コイトが続ける。多分これ、「タメ語でいいよ」って言いたいんだよな? それはわかるとして、なんでこんな尋問みたいな詰め方してくるんだろう。俺が敬語じゃそんなに嫌か。
「流れ? っていうか、なんか敬語のままでもしっくりきたので」
「しっくりきたのか。ふーん」
「でも確かに同い年なんだし、もうタメ語でいいか」
「あ、うん。それはそれで新鮮かもな。いいぞ」
 なんだその反応。いまいち何考えてるのかわからない。でもいちいち気にしてたらもうキリがなさそうだから、俺は突っ込まないことにした。
「私の呼び方も好きにすればいい」
「わかった」
 そう答えはしたが、今からこう呼ぶからなって決めたうえで誰かを呼び始めたことってほとんどないな。そういうのって雰囲気でいつの間にか決まっていくもんだろう。
 俺はクラスメイトでも友達でも苗字を呼び捨てにしていて、あだ名とかはほとんど使わない。でも、コイトのことを実際に「鯉登」と呼ぶのはなんとなく気が引ける。理由はわからない。ほんとになんとなくだ。
 かといって「鯉登くん」もなあ。中学からの友達をからかうときとかに「江渡貝くん」なんて呼んだりするけど、普段からそうやって呼ぶのはなんか、違うかも。ましてコイト相手の場合は。こいとくん、と口の中でつぶやいてみるけど、やっぱりどこか違和感がある。
 トレイの横に置いた生徒証を見る。鯉登音之進。おとのしん……
「月島ぁ。こっちのソースも開けるぞ。いいな?」
 二つあるナゲットソースのうち開けてないほうのパックを指して、コイトが言う。何か確認するときにいちいち俺を呼んでくるの、図体でかい子どもみたいで、めんどくさいけどなんかちょっとだけかわいく思えてきた。いろいろ麻痺してきてる気はするが。
「いいけど、それハラペーニョソースだから多分すげえ辛いよ」
「フンッ、上等だ」
「辛いのいけるのか。…オトくんも」
 あ、この呼び方わりとしっくりくるな。
 口の中がしょっぱくなってきたから、コーラを飲んだ。氷が溶けてだいぶ薄くなってきてる。店に入ってからそこそこ時間が経っている。
 店に入ったときは、ただただ変なヤツに目をつけられちまったと思ってたけど──いや、それは今も思ってるけど。意外と、一緒にいても苦ではない。むしろ妙に心地よくも感じ始めている。
 一方的に知られていたことに関しては、相変わらず謎のままだ。でも、俺が思い出すまで待つと言って間近で見てきたあの目は、真剣だった。時間がかかっても、なんとか応えてやりたいと思ってしまった。
「……音くん?」
 呼ばれたことのないあだ名なのか、目の前の男は目をまん丸にして俺を見たまま固まっている。一応もう一度呼んでみたが、「ウン…」と返事はするし特に嫌だとも言われないから、受け入れられたってことだろう。
 大きな手がぎこちなくハラペーニョソースを開けて、トレイに置く。その手は次にナゲットをひとつ取り、激辛のソースをたっぷりつけた。大丈夫かよ、と俺が口を挟む間も与えず、白い綺麗な歯の並んだ口の中にナゲットが消える。
「あー……あーーー……かっ、らい……」
 たいして噛まないうちに、コイトは──音くんは首まで赤くしながら、両手で顔を覆ってしまった。
 だから言っただろと笑って俺もあとに続いたのだが、あいつを参らせた期間限定ハラペーニョソースは、俺にとってはそこまで辛くもなかったのだった。