平積みになった雑誌が並ぶ一角が、ぼこんとへこんでいる。売れてる雑誌もあるもんだなと思いつつ通り過ぎようとしたヒーロー・ショートこと轟焦凍は、何気なく見た表紙に吸い寄せられるように足を止めた。
一部だけ残っていたその雑誌を手に取って、まじまじと見る。旬の俳優やスポーツ選手、ヒーローの単独特集を組むことで有名な女性誌だ。
轟のサイドキックの女性陣にも、何人か講読者がいる。彼女らいわく、たいていインタビューとともに悩ましいポートレートにもページが割かれており、言うまでもなくそちらを見るのが主な目的だということだった。
今月号もそういう主旨のようで、「本誌独占♡インタビュー&スペシャルグラビア」が別冊付録とのことだ。学生時代の級友だった性欲の権化は「袋とじこそ男のロマン」なんて言っていたが、女のロマンは別冊付録に詰め込まれるのだろうか。
轟はしばらく表紙を眺めていたが、やがて雑誌を手にしたままレジへ向かった。何食わぬ顔で雑誌をカウンターに置くと、馴染みの男性店員が「あ、ショートさん。こんにちは」と親しげに笑った。そして会計をしながら、「ショートさんもこれ買われるんですね」と言った。
「これ、今日発売なんですけど。まーよく売れてるんですよ」
「確かに、もうその一冊で最後でした」
「ああ、じゃあまた出してこないと。女性誌なんで普段はだいたい女の方しか買っていかないんですけど、今月号は男性客もけっこう買ってるんですよね」
「そうなんですか」
「そうなんですよ。……やっぱ、男から見てもかっこいいからですかねぇ。ショートさんは、同業者として気になる感じですか?」
「……まあ、そうですね」
轟はぶっきらぼうに返したが、店員は気にした風ではない。千円札を出した轟におつりを返してから、雑誌を轟に見せつつ「紐、切っときます?」と尋ねてきた。
立ち読み防止のナイロンテープの下、表紙の中から窺うようにこちらを見る、見慣れた男。らしくない、気だるい眼差しと視線を合わせながら、轟は頷いた。
「はい、お願いします」
特に大きな事件もない一日だった。
ヒーローが活躍しなくて済む日があるのはよいことだ、と晴れやかな気持ちで帰路についたヒーロー・インゲニウムこと飯田天哉は、自宅の玄関のドアノブをひねってみてさらに表情を明るくした。
鍵が開いている。ということは、今日は同居人が先に帰っている。ドアを開けて靴を脱ぎながら、飯田は元気よく「ただいま!」と帰宅を知らせた。
しかし、いつもはリビングからひょいと顔を出して「おかえり」と返してくる同居人が見当たらない。靴はあるので、家にいるのは間違いないはずなのだが。
首を捻った飯田は、疲れて寝ているのかな、入浴中かな、と様々な可能性を想定しつつ、リビングに続くドアを開けた。クーラーの風が肌を撫でる。
「……お。わりい、気付かなかった。おかえり」
ソファーでくつろぐ同居人の姿を認め、飯田はほっと息をついた。
「うむ、ただいま、焦凍くん!」
住まいを共にして久しい彼は、すでに部屋着姿になっている。ヒーロー・ショートのこんなリラックスした姿を見られるこのささやかな優越感は、何度味わっても良いものである。何百回目かわからない悦に入りつつ、飯田はかばんを所定の位置に置いた。
「早かったんだな、今日は。最近忙しいようだったけど」
「ああ。事務所の移転も一段落したからな。夕飯、まだなんもできてねえ。飯だけ炊いた」
「ありがとう! では、一緒にカレーでも作るか」
いつもならいくら暑かろうとお構いなしにまとわりついてくる轟が寄ってこないのを少し不審に思いつつ、他愛もない会話をしながら、飯田は彼に背を向けて鞄の中を探る。空のタンブラーと弁当箱を手にキッチンに向かいかけたところで、ソファーにうつぶせに寝そべったままの轟と目が合った。雑誌を読んでいるようだ。
本は座って読めといつも言っているのに。
飯田は手にしたものをシンクに漬けてから、ちょっと眉を寄せて轟に歩み寄った。
「寝転がって読むと目が悪くなるぞ。俺のように」
「大丈夫だ、細かい文字はねえから」
「またそうやって屁理屈……を……」
ため息をつきながら雑誌を覗き込んだ飯田は絶句した。
雑誌に重ねて開かれた小さく薄い冊子の中に、羽織ったシャツの前をすべて開いて素肌をさらした自分がいた。
轟は平然とページをめくる。今度はボクサーパンツに指をかけてこちらを斜に見る自分が現れて、飯田は眼鏡に指紋がつくのにも構わず、文字通り目を覆いつつ座り込んだ。
「な、な、なな、なんで君がそれを!!?」
「売ってたから買った」
「そういうことではなく! 女性誌だろう!?」
「男もよく買ってくって店の人が言ってたぞ。平積みしてあった」
「そんな馬鹿な!」
有名女性誌による取材に応じた話は、轟にはしていなかった。
話を受けた当時は特に意図があって秘密にしていたわけではなかったのだが、取材のおまけ程度だと思っていた写真撮影が思いのほか際どい内容と知り、とてもじゃないが言い出せなくなってしまったのだ。
露出の度合いだけでいえば、これまでにも男性向けトレーニング雑誌の取材でそれなりの脱衣を求められたことはある。だが、今回のターゲットとなる層の読者は、体の鍛え方の参考に自分の裸を見るわけではない。
社会人になって早十二年。箱入りの優等生だった飯田天哉にも、それくらいのことはわかるようになっていた。
撮影は、「恋人にしか見せない表情」がコンセプトだと告げられた。だがいくらカメラの向こうに恋人がいると想定したところで、実際に誌面に上がった飯田の姿を見るのは不特定多数の他人である。つまり、公衆の面前で痴態を晒すに等しい。そんなことが轟に知れた日には、罪悪感と羞恥と恐怖で死んでしまう。
すぐにでも断りたかったが、プロヒーローたるもの、一度取り付けた事務所がらみのアポを私情で反古にするのもいかがなものなのか。
悩むうち取材の日が来てしまい、飯田はあえなくカメラの前で半裸に剥かれ、あられもない姿の数々を晒す羽目になった。
「口を半開きにして目線を下に」「ベッドに向かうときのイメージで」と次々指示を出され──「ベッドに向かう=睡眠をとる」ではない場合があるということは、飯田は高校生のうちに知ってしまっていた──、世の女性は本当に僕のこんな姿を求めているのかと、撮影中の飯田は羞恥や混乱を通り越して不気味さすらおぼえたものだった。
以降は、女性誌ならば轟も見つけられないだろう、と無理やり自分に言い聞かせ、なんとか心の平穏を保ってきたのに。平積みだなんて、本屋の店員も酷なことをしてくれるものだ。
「……あ、これ、見たことないパンツだな。これも衣装なのか」
「ちょっ、もうそれ以上はっ……!」
「これなんて、ギリギリで切れてるけど履いてねえんじゃねえのか」
「た、頼むからもう! 見ないでくれ! 見るな焦凍くん!」
必死に取り上げようとする飯田の手を抜群の反射神経でかわし、轟はページをめくるごとに律儀に感想を述べてくる。紛れもない自分の意志でこの仕事を受けた手前とことん強気に出ることもできず、飯田はただただ見るなと懇願しながら、そういう個性でも持っているかのように四方八方から轟の手の中の冊子を奪いにかかる。
「……ん、これで全部か」
が、ついにその手が冊子に触れることはなかった。
全ページにじっくりと目を通した轟はぱたりと冊子を閉じて、開きっぱなしだった雑誌の中ほどに挟んだ。
髪も息も乱した飯田には、もうそれに手を伸ばす気力も残っていない。ポーカーフェイスを崩さないまま撮影のいきさつを尋ねてきた轟に、うつむいたままぽつりぽつりと事のあらましを白状するのみだった。
「──なるほどな。ま、そういうのもヒーローの仕事のうちなんだろ。俺はあんまりメディアに出ないからよくわからねえけど」
ひととおり聞き終えた轟が相変わらず涼しい顔色のままそう言ったのが、飯田はかえって怖かった。
表情に乏しいからわかりにくいが、昔からやきもち焼きの彼が怒っていないはずがない。この仕事を受けたことも、バレてしまう今日の日までずっと秘密にしていたことも。
でも実のところ、だからといって謝るのもどうなのかとも飯田は思っていた。形はどうであれ、結果として自分は誰かのための仕事を全うしたのだ。インタビューと撮影を終え、自分に心からの感謝の意を伝えてくれたスタッフ達の笑顔に、悪い気はしなかったのも事実だった。
ソファーの傍らにしゃがんだまま何を言うべきか考え込んでいた飯田の思考に待ったをかけたのは、頭に置かれた轟の手の感触だった。
「……安心した」
え、と飯田は顔を上げて轟を見た。
飯田の想像の斜め上を行く発言をするのは珍しくない彼だが、今のは群を抜いている。
「買ったときは、正直不安だったけど。……でも、もういい」
もういい。
不穏さを孕んだ最後の単語にぎょっとした飯田だったが、轟の表情は穏やかだった。それどころか、どこか嬉しそうですらあったのだ。
飯田を見ていた轟は、閉じた雑誌の表紙を見た。そこにいる飯田とも、視線を合わせたようだった。特集名の「ヒーロー・インゲニウムの素顔」の文字をなぞって、轟は言った。
「おまえの素顔なんて、ひとつも載ってなかった。こういう格好してるときのおまえがほんとはどんな顔すんのか、これじゃ誰にもわからねえな」
熱風を真正面から受けた心地がして、飯田は弾かれたように目を見張った。
飯田をからかうようなことを言いながらページをめくっていた轟が、内心で何を不安に思い、その目で何を確かめていたのか。そして何に安堵したのか。
轟のどこか得意気な顔を見て、よくわかった。飯田にもまた、独占欲はあるから。
遅れて沸き上がってきた満足感にも似た感情に気付き、僕もなかなか趣味が悪いと飯田はひっそり自嘲した。そして藪蛇だとはわかりつつも、つっかえつっかえ尋ねずにはいられなかった。
「……ど、どんな顔、してるんだ? 僕は」
「きくのか。おまえ、大胆になったよな」
よっ、と轟が弾みをつけて身を起こす。頭に置かれたままだった手に重みがかかり、飯田は首を縮こまらせて「う」と短く呻く。
「気になるなら、今夜撮ってやる」
ポケットの上からスマホを軽く叩いて、轟は言った。
意地の悪い笑顔にうっかり見惚れてしまってから、飯田は思い出したように赤くなり、力強く首を横に振った。