朱と枷

「ミスタ、これを」
 退屈な事務仕事に区切りをつけた正午過ぎ。颯爽と書斎に現れたジョルノに前触れなく差し出された小箱を見て、ミスタは首を傾げた。
 立方体に近いその箱は手のひらに乗るサイズで、箔押し模様の入った艶消しの黒い革が全体に張られている。天面の真ん中にあしらわれた金文字は、世界中の誰もが知っているであろうイタリアのジュエリーブランド名だ。
 ミスタは片手で小箱を受け取った。真顔のまま、あらゆる角度からしげしげと眺める。装飾品を身に着けないミスタにはあまり縁がないが、ジュエリーショップで買い物をした際に品物を納められる、フタの一辺が蝶番になった箱だ。高級感はあるが、なんの変哲もない。箱を耳元で軽く振ってみながら、ミスタは再びジョルノに視線を移した。
「……押収品? それとも遺留品?」
「きみって人は本当に情緒がないな」
 真面目に質問したのに、半目になったジョルノに盛大にため息をつかれてしまった。
「あのね。普通、こんなジュエリーの箱を恋人に渡されて、押収品か遺留品か〜なんてききます?」
「えっ」
「ぼくにいつもドライだなんだと言ってくれるけど、きみだってたいがいじゃあないか」
「まてまて、てことはこれって、もしかしてオレへのプレゼント?」
 始まりかけた小言を遮って問うと、ジョルノは呆れ顔のまま「そうに決まってるでしょう」と答えた。ミスタは「ええ〜」と大げさに瞬いてみせる。
 プレゼントって、もっと意味ありげにもったいぶって、相手の期待を限界まで高めたところで、お待たせしましたとばかりに晴れがましく渡すものじゃあないのか。
 少なくともミスタはそうしている。ジョルノと恋人同士になってから、誕生日をはじめとするイベント時には、そうやって陽気かつ華やかにプレゼントを贈ってきた。
 本来ジョルノも、プレゼントを贈る際には、息を呑むような美しい笑顔とシビれるセリフを添えてくれるタイプだ。しかし今小箱を差し出したときの彼ときたら、素っ気なく、そのくせいやに真剣で、ロマンチックさの欠片もなかった。不届き者から押収した諸々の物品を報告がてらミスタに見せてくるときと大差ない。あれじゃあわからねーよ、と内心でミスタは呟いたが、ジョルノからのプレゼントは純粋に嬉しかった。「それなら最初からそうって言ってくれよー」とジョルノの肩を叩いてから、「グラッツェ!」と笑顔で礼を言った。
「でも……何かの記念日だったっけ? 今日って。誕生日はまだまだ先だし、褒められるようなことした覚えもねーんだけど?」
「……きみに似合いそうなものをたまたまぼくが見つけた。立派な記念日でしょう」
「うはッ! カッコイー! オレも今度それ使うわ」
「いいから早く、開けてみて」
 まんざらでもなさそうな様子で急かしてきたジョルノに応え、ミスタは箱のフタの合わせ目に指をかける。蝶番のバネの手応えをしっかりとミスタの手に伝えながら、箱はパコッと小気味よい音を立てて開いた。
 入っていたのは、一対のピアスだった。まるく平たい赤い石の周りをゴールドが縁取るシンプルなデザインで、シャツのボタンほどのサイズだ。
 ミスタは慎重にピアスをひとつ取り、窓からの光に透かすようにしながらまじまじと観察した。
 朱に近い赤色は一見派手だが、帽子で耳元はほとんど隠れてしまうから、これくらい鮮やかな色でちょうどいい。帽子の陰からときどきちらっとこのピアスが覗いたらさぞ色男に磨きがかかるだろうなと、ミスタはにやりとした。帽子をかぶっていないときでも、髪も瞳も真っ黒い自分にこの色はきっとよく映える。
「なかなかイカしてんじゃあねーか。いい色だ」
「よかった、気に入ってくれて。ひと目見てすぐ、きみに似合うだろうなって確信したんだ」
「さっすがあ」
 帽子の中の耳たぶに触れながら、ミスタは手のひらの中のピアスを見つめる。
 気に入った。もし自分でピアスを買うとしても、きっとこういうものを選んだだろうと思う。
 しかしひとつだけ、ミスタにはちょっとした──いや、わりと重大な問題があった。言おうか言うまいか一瞬迷って、結局ミスタは言うことにした。すぐにでも着けて見せたいがそうできない理由を、ジョルノに話す必要があると思ったからだ。
「ただオレ、穴があいてねーのよ。言ってなかったかもしれねーけど」
 ミスタは帽子をめくり、耳たぶをジョルノに見せた。取り立てて特徴もない、ごく平凡な耳だ。強いて言うなら、普段帽子に隠れていることが多いから、少しばかり人よりは敏感かもしれないが。
 ピアス穴をあけていないことに特に大きな理由はない。ミスタは装飾品より服や靴に金をかけるたちなので、どちらかというとあける理由がなかったと言うほうが正しい。己の耳たぶを飾ることについて、今日までの二十数年間、ミスタは考えたこともなかった。
「そうですね、知ってます。何度も見てるから、きみの耳」
 ジョルノはこともなげにそう言った。そしてデスクに置いていたビニール袋から何かを取り出し、ミスタに見せた。
 透明なパッケージに包まれたままの、長い針のようなもの。ミスタには馴染みのない道具だが、これが何をするのに使うものなのかは、状況からおおかた想像がついた。
「だから、今からぼくがこれで穴をあけます」
「やっぱそうなるか〜」
「嫌ですか? ピアスあけるの」
「いーや? 別にいーけどよ。あける機会がなかっただけだから」
 言いながら帽子を脱ぎ、デスクに置く。つぶれた髪を無造作にかき上げる左手に、突き刺さるような視線を感じる。気付かないふりをして、ミスタはジョルノに向き直った。
 よろしく、と身を乗り出して微笑んでみせると、ジョルノは自分から切り出したくせに、わずかに面食らったような顔をした。すぐにいつもの澄ました表情に戻り、彼は再び白いビニール袋の中に手を入れる。次々取り出されてはデスクに並べられる消毒液や脱脂綿、コルクを見て、準備のいいもんだなとミスタは肩をすくめた。「嫌ですか?」ときいてはきたが、ミスタに断るという選択肢を与えるつもりなんて端からなかったのだろう。
 手際よく脱脂綿に消毒液を垂らすジョルノを見やり、ミスタは唇の片端を吊り上げた。
「おめー、よっぽどオレに着けさせたかったんだなぁ、このピアス。穴がねーってわかってて買ってくるなんて相当だぜ?」
「今後きみが勝手なことをしても、そのきみの体にぼくは穴をあけてやったんだと思えば少しだけ心穏やかでいられるかも──っていう、下心が多少ある。正直なところ」
「正直に言えばいいってもんじゃあねーぞ? ピアスに見えるが首輪かなにかか? こりゃあ」
「……そうかもね」
 消毒液の染みた脱脂綿が、耳たぶを撫でるように拭う。ミスタは息を詰めた。温度こそ違うが、ジョルノの舌の質感とどこか似ている。続いて耳たぶの裏に添えられたコルクの乾いてザラついた感触に、少し安堵した。
 滅菌済のパッケージを破り、ジョルノがニードルを取り出す。鋭利に尖った先端が、窓の外の光を跳ね返してきらりと光った。今からあれが、耳たぶを貫くのだ。ジョルノのことだからそつなくこなすだろうとは思うが、やはり少しだけ、恐怖心はある。端にピアスのあてがわれたニードルが近付いてくるのを横目で見ながら、ミスタは唾液を飲み下した。
「……おいジョルノ。おめー痛くすんなよ、絶対に!」
「情けないこと言わないでください。GEの痛みよりよっぽどマシなんだから」
「あれは痛すぎて比べる対象にならねーよ」
「いいからじっとして、ミスタ」
 ジョルノがたしなめるように言った直後、耳たぶにちくりとした感覚が走った。目元を歪め、ミスタは口をつぐむ。
 あまり痛くはないが、金属の針が刺さっているのはわかる。針先が耳たぶを貫くとき、皮膚がぶつりと破られるはっきりとした衝撃を感じて、歯を食いしばった。貫通した長い針が耳裏から引き抜かれていく感覚に、背筋がぞわぞわと粟立つ。
 ミスタが違和感に耐えるうちに、できたばかりのピアスホールに無事ピアスが収まったらしく、コルクが外された。耳裏に突き出したピアスの針に、キャッチをはめ込まれる。ジョルノが確かめるように耳たぶに触れてきたが、しびれたようになったそこは感覚が鈍っており、白い指の感触はミスタにはあまり伝わってこなかった。
「はい、右は終わりました。痛くなかったでしょう?」
「んん、まあ、思ったよりは……ちょっとゾワッとしたけど」
「もう片方もいきますよ」
 新しいニードルを開封しながら、ジョルノが言う。次いで同じ流れで穴をあけられた左耳は、慣れもあって右のときほどの不快感は感じなかった。終わりました、とまたジョルノに告げられ、ミスタは椅子にもたれかかりつつ大きく息をついた。
 ややあって立ち上がり、書斎の片隅に掛かったアンティークの鏡を覗き込む。ほの赤く染まった耳たぶを、贈られたばかりのピアスが飾っている。印をつけていた様子もなかったのに、左右の位置に寸分の狂いもない。さすがジョルノといったところか。朱赤のピアスは、ミスタの小麦色の肌に馴染みすぎることなく、鮮やかに存在を主張していた。
「お、イイじゃん! わかってたけど」
 そっとピアスに触れつつミスタは言う。鏡の中で目が合ったジョルノは当然でしょうとばかりに頷いた。眩しそうに、誇らしそうに、そして切なそうに、美しいエメラルドの瞳を細めて。
 鏡の前から離れ、ミスタはジョルノの正面に立った。見上げてくる視線の高さが、この頃ずいぶん近付いてきているように思う。それが悔しくて、向き合うときにはいつも自然とふんぞり返るような姿勢になってしまうのだが、今はそうしなかった。ジョルノの瞳を覗き込むように、少しだけ背を曲げすらした。
「満足した? オレの体に穴あけて、オレを縛れて」
「ええ、とても。同じ石のネックレスもあったけど、やっぱりピアスにして正解だったな」
「あんまり束縛がすぎると嫌いになっちゃうぜ〜、ジョルノ」
「それは困るな。ほどほどにします。……絶対に外さないでくださいね、それ」
「へーへー」
 詰めが甘い。
 ジョルノの視線がちらちらと向けられる先を見て、ミスタは思った。
 美しさも度胸もカリスマ性も余りある、ギャング組織の年若きボス。でもその一方で、こと恋愛に関しては、ジョルノ・ジョバァーナはいたいけな十代の少年そのものだった。驚くべき成長性で、恋愛経験豊富なミスタをどぎまぎさせるような表情や言葉を思うままに操るくせに、肝心なところで奥手だ。それを悟られまいと、今回のように突拍子もないことをしでかしたりする。
 ミスタはそんなジョルノの不器用な愛をじれったく思うことも多々あるが、それ以上にとてもけなげで愛おしいと思う。むしろ、拙いところもあってくれないと困るのだ。自分が優位に立てる部分も少しは残しておいてもらわなくては、年上の恋人として締まらない。
「ピアスは嬉しいけどよ。それはそれとして──」
 消毒液の冷たさの残るジョルノの左手に、ミスタは触れた。正しくは、左の薬指に。贈ったばかりのピアスを見るのもそこそこに、ミスタの体の同じ部位をじっと見つめていたジョルノが、弾かれたようにミスタの目を見た。年下の同性のボスに真正面から重たい愛をぶつけられた日から、ミスタはとうに覚悟を決めていた。
「オレ、どうせ縛られるなら指輪がいい。おまえと揃いのな」
 ミスタを見つめたまま、ジョルノが目を見張った。虚を突かれたような表情はすぐに引っ込められ、悔しそうな、ふてくされたような顔で、ジョルノはミスタの手をそっと握った。
「すぐじゃなくたっていい。でも……期待してるぜ、ジョルノ」
「……応えてみせます、必ず。すぐに」
 ジョルノはそれだけ言って、ミスタの指先を包む手に力を込めた。すぐじゃなくていいと言っているのにと、ミスタは苦笑する。ずっと前からターコイズのピアスに飾られているジョルノの薄く白い耳たぶが、薔薇色に染まっている。
 今さら、逃げるつもりなんてないのだ。あまり待たされるようなら、ミスタのほうからとびきりカッコよくジョルノに指輪を贈ってしまうかもしれないが。背伸びしたがる年下の恋人は、きっとそれもよしとはしないのだろう。
 ミスタも、耳たぶだけといわず、耳全体がじんじんと熱く火照って仕方がない。朱赤のピアスの色と同化してしまっているんじゃあないかと思うくらいだったが、ミスタは目をそらさずに、真っ直ぐジョルノを見つめていた。なぜなら自分には、今さっきピアスをあけたばかりだという、耳が赤い理由とするのにうってつけの口実があったから。