まいにち、ふみの日

「お前は見かけによらず筆まめだな」と、同室の立花仙蔵は言った。
 わざと要らんことを言って構ってもらおうとするのは、仙蔵のガキくさい悪癖だ。便箋に向かう俺を見るたんびに同じことを言っては、やけに楽しそうにふふんと笑う。
 うるせぇ邪魔すんなと雑に追っ払えば、「なんだ、つまらんなぁ」と満足そうに文句を言いつつ離れていく。で、しばらくすると「そろそろ書けたか」とまた寄ってくる。ちゃんと手紙に封をした頃合いを狙って来るのが妙に健気で、その憎めなさに免じていろいろ許してしまう俺だった。もとより、仙蔵の軽口のひとつやふたつ、いちいち真に受けてちゃ同室なんて務まらねえ。
 まあ、なんだ。「潮江くんはよくお手紙を出してえらいねぇ」と笑顔で褒めてくれる小松田さんも、「僕も潮江先輩を見習って親に手紙を書きました! 出してきます!」と明後日の方向に駆け出す左門も、心の中じゃ仙蔵みたいに「見かけによらない」とか思ってんのかなぁ、なんて。たまーに、ちらっと、疑心暗鬼になることもなくはなかったが。

 学年が上がると、私用でゆっくり机に向かう時間もなかなか取れなくなってきた。
 ただ、長期休みに実家に帰れないこともたびたびあったから、そうなるとやはりせめて手紙を出すかという気持ちになる。いくらか文面は短くなったが、それでも折に触れて実家に近況は報せていた。
 俺がふみを綴っていても、仙蔵は特に何も言わなくなった。同室生活も数年目となると、手紙を書く俺もいいかげん見飽きたのだろう。
 仙蔵もたまに、手紙をしたためていることがあった。奴も家族に宛てているのだと言った。文机に向かって正座をした仙蔵に俺もひとつぐらい要らんことを言ってやろうかと思ったが、「お前を見習おうかと思ってな」なんて横顔で微笑まれてしまったもんだから「そうかよ」としか言えなかった。素で言ってるのか周到に隙を潰してるのか、そこそこ長い付き合いをもってしてもわからなかったが、どっちにしろ本当にずるい奴だなぁと思った。

 このところ立て込んでいた実習が、ようやく一段落した。委員会のほうも比較的落ち着いている。俺は久しぶりに便箋を広げ、近況を綴っている。期間が空いたから、けっこう書くことがある。
「文次郎」
 仙蔵がすいと寄ってきて、含みのある声で呼びかけてきた。これも久しぶりのことだ。何か新しいちょっかいでも思いついたんだろうか。どうせ流してやるから何でもいいが。続きの文を考えながら、俺は「なんだ」と生返事をする。
「私も、お前からの手紙が欲しい」
「…はあ?」
 予想外の言葉がきたから、思わず手を止めて仙蔵を見た。仙蔵はいつもの涼しい目で俺を見ていて、意図がつかめない。
「お前の近況や想いをつぶさに知りたい」
「いや、あえて手紙にする必要ねえだろ…近況なんて見りゃわかるだろうが」
 多忙で顔を合わせない日も増えてきたとはいえ、腐っても同室だ。相方が何をして、何を思って生きているのかなんて、改めてしたためずともなんとなくわかるだろう。少なくとも俺はそうだ。
 だいたい、手紙っていうのは離れた相手に宛てて書くものだ。この距離感の人間にどんな顔して書けばいいんだよ。
 仮に書き上げたとして、それをどうする。
「読んでくれ」と直接手渡す? いや、おなごかよ。小っ恥ずかしすぎる。
 忍務に向かう日に部屋に残していく? 縁起でもない。まるで遺書じゃねえか。
「……書く方向で一応考えてみてくれただろう、今」
「か、考えてない!」
「というかお前、話を聞いてたか? 近況だけなら確かに見りゃわかるかもしれないが──」
 仙蔵の眉が下がる。ぐ、と音を立てたのは俺の喉だった。
「お前は変に恥ずかしがって、なかなか想いを口にしないだろう。生娘みたいなとこがあるからなぁ」
「きっ…!?」
ふみでならちょっとは甘い言葉もきけるのかなと思っただけだ。今後いつ死ぬとも限らんのだし……いや、変なことを言ってすまなかったな。忘れてくれ」
 しおらしい顔で言うだけ言って、すっと離れていってしまう。思わず伸ばした指先は仙蔵の肩にぎりぎり届かなかった。
 いやいや落ち着け、惑わされるな。あれは哀車の術だ。仙蔵の得意のやつじゃねえか。俺を泣き落として、困らせて、反応を楽しむつもりに決まってる。
 必死に自分に言い聞かせるが、上級生になってから日ごと苛烈になっていく実習のことや、ちょうどその頃から仙蔵が家族によく手紙を書くようになったことや、仙蔵の言うとおり俺は日頃からろくに想いを言葉にできていないということが、ここにきて一気に点として思い起こされ、強く結びついてしまった。
「せ、せんぞう」
 だからって取り急ぎ何を言えばいいのかもわからず、とりあえず名を呼んだらとんでもなく情けない声が出た。
「ばかたれ。なんて顔してる」
 俺が仕切り直すのを待たずに振り向いた仙蔵は、憂いなど少しもない笑顔でからりと俺をなじった。
 ここで俺が「お前だってたいがい天邪鬼なくせに」と言えば、仙蔵はあっけらかんと「そうだな」と言って、やはりからりと笑うんだろう。
「やっぱり哀車の術かよ」と俺が言ってしまえば、たとえそうじゃなかったとしても、そうだったことにされてしまうんだろう。
 仙蔵はそういう奴だ。俺のことばかり嬉々として甘い甘いと言いふらしてくれるが、こいつだって、ちょっといきすぎなくらいには俺に甘い。
「ふ、文じゃなくても言えるわそんぐらい!」
 甘えっぱなしでいてやりたくなくて、見切り発車で啖呵を切った。
 仙蔵は笑みを深くし、穏やかな声音で「本当か?」と言った。
「じゃあ、このあと聞かせてもらおうかな。まずはその手紙を仕上げてしまえ」
 仙蔵としては猶予のつもりだったのかもしれない。でも俺は大見得切った以上もう親への手紙どころではなくなってしまって、なんにも文がまとまらず唸っているうちに、痺れを切らした仙蔵に実力行使で急かされてしまった。
 綾部喜八郎の落とし穴に埋めてほしいぐらいいろんなことを言わされて、解放された頃には硯の墨がすっかり干上がっていた。

 結局、書きかけの手紙を仕上げられたのは翌日になった。封をされた自分宛てでない便りを見ても、もう仙蔵は「手紙が欲しい」とは言わなかった。

 

 忍術学園を卒業して数年が経った。
 忍びとして経験を積むうち、身内に気安く手紙を送れる立場ではなくなった。守られた身分のうちにたくさんふみを出しておいてよかったと今になって思う。
 仙蔵には、とうとう手紙は書かずじまいだった。
 髪が背中まで伸びていたと気付いた日も、額についた向こう傷がどうにも消えそうにないと悟った日も、俺は筆を取らなかった。
 これからも書かない。なんせ俺は、筆まめって顔じゃないらしいしなぁ。

「文次郎、手紙を書いてるのか。私にか?」
「なんでだよ。密書だこれは。昨日作戦立てただろ」
「なんだ、つまらんなぁ。ところでお前、ずいぶん髪が伸びたな」
「しばらく切ってなかったしな」
「前髪、傷に触ってるんじゃないか?」
「もうふさがってるから構わねえ。でも多分残るだろうなあ、これ」
「いいじゃないか。なかなか様になってるぞ」
「……そりゃどーも」

 だいたい、手紙っていうのは離れた相手に宛てて書くものだ。
 近況も想いも、あえて綴ってやる必要がないんだ。いつもそばにいる奴には。