Time Starts To Move - 1/3

 帽子の内側、ポケットの中、ブーツの隙間。
 真新しい銃弾を箱から出しては衣服のあらゆる場所に仕込んでいくミスタを、ジョルノは定位置である執務室のデスクから眺めている。
 詰め込んだ銃弾を上から押して均す横顔は、見慣れた無表情だ。爪を切るときと人殺しの準備をするときで、まるで表情が変わらないのがグイード・ミスタという男である。
「ミスタ、今回の段取り、頭に入っていますよね。複数箇所を回ってもらうことになりますが」
 残った銃弾を箱ごとボトムスの尻ポケットに突っ込んだミスタにジョルノが問うと、彼は視線だけをぎょろりとジョルノに寄越して、「おーう」とゆったりした声音で応えた。
「ターゲットも場所もバッチリだぜ〜。こいつらにもよく言って聞かせたしな」
 頼もしい返答のあと、「任セロー!」「ヤッテヤルゼー!」と気合いの入った言葉が続く。ちらりと腕時計に視線を落としてから執務室を出ていこうとする拳銃使いに、ジョルノは椅子から立ち上がりつつ、今度は少し異なる角度から問いかけを重ねた。
「シエスタは済ませましたか? 何か食べた?」
「んあ? さっきサラミ食わせてんの見てただろ。お昼寝は移動中にさせるからよ」
「そうじゃあなくて、きみの話」
「オレぇ?」
 ドアノブにかけていた指で自分を指しつつ、ジョルノを見たミスタは少し目を見開く。ジョルノが何も言わずに答えを待っていると、ミスタは特に言い淀むこともなく「メシは食ったぜ。お昼寝はしてないけど」とさらりと言った。
「まあ別に問題ねーよ。オレはそのへんのイタリア人より仕事熱心だからな。てゆーかそんなヒマなかっただろ今日」
「今から少し時間を取っても構いませんよ。今日中にこなしてくれればいい仕事なので」
「いーって。もう銃弾だって仕込んじまったし」
「……そう、ですか」
 慣れない気遣いを軽やかに一蹴されてしまい、ジョルノはうつむく。ジョルノを見たままドアノブを回したミスタは、少し眉を下げて小さく息をつくと、開いたドアを体で押さえつつ「まっ」とややおどけた声を発した。
「帰ったら労ってくれよ。やさしくな」
 ジョルノは顔を上げた。こちらを見下ろす真っ黒な瞳からは、やはりあまり感情が読み取れない。
「……きみの負傷次第では、やさしくとはいかないかもしれないけど」
「ヒェ〜。怪我しないようにしねーとなァ」
 大げさに肩をすくめたミスタは、また腕時計を一瞥し、腕組みをほどいてポケットからバイクのキーを取り出した。しなやかな上体がドアから離れ、支えをなくした重厚な木の板がゆっくりと閉まっていく。
「じゃ、行ってくるわ」
「よろしくお願いします。無茶はしないでくださいよ」
「わかってるって」
 廊下でこちらに背中を向けたまま片手を振ってみせ、ミスタは軽快な足取りでジョルノの視界から消えた。ブーツの靴底の刻む重たく硬い足音が遠ざかっていく。執務室に残ったジョルノはため息をついて、座った椅子の背に深くもたれかかった。
「……わかってないから言ってるのに」
 小さくつぶやいた声に、ドアが閉じる音が静かに重なった。
 

 パッショーネの前ボスであるディアボロを秘密裏に討ち、この世に残った二人と一匹で組織を乗っ取ってから、早八ヶ月が経とうとしている。
 コロッセオで事切れたブチャラティと対面したときのミスタのことを、ジョルノは忘れられない。
 ディアボロ撃破をブチャラティに知らせてやろうとトリッシュとじゃれ合うようにコロッセオに向かったミスタは、地面に倒れてぴくりとも動かないブチャラティを見るなり、顔から一切の血の気をなくした。
 崩れるように両膝をつき、かつての上司に呼びかけた彼の消え入りそうな掠れ声が、返事を求めるように次第に大きく激しくなって。なんでだ、おかしい、こんなはずじゃあ、とやがて胸を引き裂くような悲痛な叫びに変わっていったのを、ジョルノはじっと傍らで聞いていた。うつむいた視線の先、涙も流さず呆然と座り込んだトリッシュに、ポルナレフの魂の憑いた亀がそっと寄り添うのが見えた。甲羅の鍵にはまった赤い宝石に抜けるような青空と雲が映り込んでいたのを、やけに鮮明に覚えている。
 そのうちミスタは黙り込み、ブチャラティのそばについたまま項垂れた。押し殺しきれない嗚咽で、がっしりとした肩や背中が震えていた。
「ジョルノ」
 長い沈黙を経て再び口を開いた彼が、ジョルノの名を呼んだ。
「何か、オレたちが知らないことを知ってんじゃあねーのか。おまえは」
 呻くような声だった。溜まった涙でふちの歪んだ黒目が、ほのかな殺気を纏ってこちらに向けられていた。
「そうじゃなきゃあ、おめーが真っ先にブチャラティを治しに行こうとしなかったことの説明がつかねーよなぁ?」
 全てを見透かさんとする瞳でこちらを見据えるミスタ。その向こう側にはブチャラティが倒れていて、地面に広がる特徴的な白地のスーツが、ミスタの派手な衣服の陰から見えていた。
『黙っててくれるな? みんなには……』
 ローマを駆ける車の中で聞いた、やさしく、有無を言わせない声が蘇った。あのときすでに死んでいた彼からの口止めが、なおもジョルノの口を噤ませた。
「なあ、どうなんだよ? なんとか言いやがれってんだ!」
 ゆらりと立ち上がったミスタが、沈黙を貫くジョルノの胸倉をつかんだ。ひ、と怯えた声を上げたトリッシュは、ポルナレフに亀の中に匿われ、すぐに姿が見えなくなった。
 ジョルノはミスタの手を上からつかみ、少し上方にある彼の顔を間近に見た。その目にすでに涙はなかった。黒く冴えた瞳にただ暗い影が落ちていて、それがジョルノの胸の内をも大きく翳らせた。呑まれるわけにはいかない。ジョルノはギリ、と歯を食いしばり、下からミスタを睨み上げた。
「ぼくは、前に進まなくちゃあならないんだ」
「ああ!?」
 怒りと悲しみ、そして不信感を隠そうともせず、ミスタはジョルノを睨み返した。日頃の陽気で気さくな彼とはまるで結びつかない、敵意すら感じる眼差しだった。
 ジョルノは一度、深く重い息をついた。ひどく苦しかった。誰に軽蔑されても、嫌われても、まるで気にも留まらないくらいには鈍感になれて久しいはずだったのに。
「ぼくには、叶えたい夢がある。立ち止まってる暇はないんだ」
「……」
 ミスタの顔から表情が消え、利き手が迷いなく腰の銃を抜いた。無言で額に押し当てられた銃口の冷たさに、却って思考が冴えた。
「絶対に成し遂げなくちゃあならない。ブチャラティ、ナランチャ、アバッキオ──死んでいった仲間たちのためにも」
「話が見えねーな。てめーが自分の夢のためにチームの奴らを踏み台にしたってことでよかったかよ」
「……そう取ってくれて構わない」
 ジョルノは静かに言った。
 チームにジョルノが加入した真の事情を知らないまま、かつての仲間を全員失ったミスタ。リーダーであったブチャラティの死を悼むのもそこそこに本来の目的を果たすべく動こうとする自分の姿が、いま彼の目にどれほど冷酷に映っているのか。容易に想像のつくことだった。
 己の正当性を主張したい気持ちがなかったわけではない。しかし、ミスタの発した「踏み台」という言葉には抗えないと思った。仲間を一人失うたび、夢を叶える決意をいっそう固くしていた自分は、確かにミスタの言うとおりのことをしてきたといえるのかもしれないと。
 額に当てられたままの銃口にぐ、と圧がこもった。ミスタが胸倉をつかんだ手を引き寄せたのだ。
「どうあっても、詳しく話すつもりはねーようだな」
「今はね。でもきみにはいずれ、全部打ち明けます」
 首が締まる苦しさに顔を歪めながら、ジョルノは答えた。
 沈黙。ミスタは探るようにジョルノを見据えていたが、やがてゆっくりと銃を下ろした。耳ひとつくらいは飛ばされるだろうと覚悟していたジョルノは、無意識に詰めていた息を静かに吐き出した。仲間を踏み台にしたことを否定しなかったジョルノを、ミスタは撃たなかった。
「──だから、ぼくと一緒に来てくれないか。ミスタ」
 胸倉からも手を離し、だらりと両手を下ろしたミスタに、ジョルノは言った。
 ブチャラティの遺志が加わったことで、ジョルノの夢はより強固たるものになった。これまで以上に険しくなるであろうギャングスターへの道は、ミスタとともに歩みたいと強く思った。
 ただひとり残った仲間だから、というだけではない。グイード・ミスタという男は、短絡的なようで思慮深く、柔軟。不審な者がいれば、身内であってもためらいなく銃を向けられる。自分なら必ずどんな窮地も抜けられるという揺るぎない自信に満ちていて、それを裏付けるだけの強運と実力を持っている。ジョルノのスタンド能力との相性も良い。そして何より、波長が合う。ネアポリスの浄化を果たすにあたり、ミスタがそばにいてくれればこんなに心強いことはなかった。
「ハイって言うと思ってんのか?」
 銃を手にしたまま、ミスタが吐き捨てるように言った。
「おめーがこの先どうするつもりなのかも知らねーんだぜ、オレは」
 ジョルノは背筋を伸ばした。真っ直ぐにミスタを見て、自分にも改めて誓いを立てるように、はっきりと宣言した。
「ぼくは、パッショーネのボスになります。そして、ネアポリスの──いや、イタリアの未来を拓いていきたい。ミスタ、できるなら、きみとともに」
 ミスタが大きく目を見開いた。
 よく見なければ見落としてしまいそうではあったけれど、そこには一筋の光が確かに宿っていた。それは足を止めずに駆け続けようとするジョルノが何より求めていた、進むべき道を照らす強い光だった。

 ミスタへの宣告どおり、ジョルノはその後ほとんど日を空けずに、パッショーネのボスの座についた。あくまで表向きは、これまで正体を明かさなかったボスが、麻薬はびこるネアポリスを清浄するためその姿を明らかにしたという体で。
 そして、ジョルノがブチャラティとだけ共有していた秘密をミスタに全て打ち明けたとき、すでにジョルノの手足となって動き始めていたミスタは名実ともにジョルノの部下となった。ブチャラティの葬儀を執り行ったその日のことだった。
 ジョルノの直属の部下ということは組織にとっては幹部であり、パッショーネにおける事実上の副長ともいえる。もともとはジョルノもミスタもギャング組織の下っ端で、なんならミスタのほうがギャングとしては少しだけジョルノより先輩ですらあったのだが、彼は特に抵抗感を見せることもなく、ジョルノとのこの主従に近い関係性を受け入れた。身にのしかかった使命と肩書の重さをものともせず、ダンスにでも誘うようになめらかに、ジョルノの手の甲に忠誠のキスを落としてみせた。
 ジョルノが行けと言えばネアポリスからどんなに離れたところでも飛んでいくし、殺せと言えばそれまでどんなに打ち解けていた相手でも容赦なく撃ち殺す。ときに頼もしいのを通り越して恐ろしさすら感じるほどに、ミスタはどこまでもジョルノに従順で、忠実だった。
 任務の合間にどうでもいいことを一方的に好き勝手しゃべっているときの、自由気ままな彼が本来のミスタであるはずなのに、ジョルノの目には逆にそちらのミスタのほうが新鮮に映ることすらあった。今思えば、そういう経験が少しずつ積み重なって、ジョルノの中にえもいわれぬ不安の塔を築き上げていたのかもしれない。
 ともに未来を拓きたいなどと言っておきながら、結局のところぼくは、ミスタの人生を都合よく利用しているだけなのではないか。もはや夢というには執着の強くなりすぎた、自分の野望のために。
 強力なスタンド使いたちで構成された麻薬チームを葬るという大仕事を終え、張り詰めていた精神をようやく少し緩めたとき、隙間のできたジョルノの頭の中をふとそんな考えがよぎった。そのとき執務室でちょうど報告書を手渡そうとしてきていたミスタが、「どーした、変な顔して」と怪訝な顔で問うてきたのを覚えている。仮にあのとき目の前にミスタがいなかったとしても、いずれどこかのタイミングで同じことを考えていただろうと思う。

 山積みの書類を片付けながら、ジョルノはミスタに思いを馳せる。おそらく一件目の任務を終えて、次のターゲットを始末するべくバイクで移動している頃だろう。
 最後に彼に丸一日の休日を与えたのはいつだったろうかと、任務のスケジュールを書き込んだ卓上カレンダーを繰ってみる。月を遡っても遡ってもミスタに課した任務が途切れている日が見当たらないことに気付き、ジョルノは静かに青ざめた。
 ミスタのことを誰より深く信頼しているがゆえに、いつも彼を誰より都合よく、手酷くこき使ってしまう。どうか無茶をしないでと心から言ったそばから、命がいくつあっても足りないような死線に彼を送り出している自分がいる。
 このままではいつか取り返しの付かないことになるとわかっているのに、適材適所で人員を割いて物事を進めていくには、新生パッショーネはまだあまりにも未熟だった。人数は申し分ないが、信頼のおける者が片手で数えるほどしかいない。組織を強大にするには実力行使に出る必要が多々あり、それに適した人材を数少ない中から選出するとなると、どうしても気心知れていて戦闘能力の高いミスタにばかり白羽の矢が立つ。というか、立ててしまう。
 たまには文句やぼやきのひとつでも言ってくれればいいのに、彼はいつでも「了解だ」と短くはっきり返事をし、殺すべき輩をきちんと殺して、「完了したぜ」と帰ってくる。ときに大怪我を負ってジョルノのGEの世話になっても、持ち前のタフな肉体と精神力で翌日にはすっかり回復させ、いつでも何でも命じろとばかりに、執務室の応接ソファーにどっかりと控えている。
 頼もしいことこの上ないが、そうしてミスタがどんどんジョルノに都合よく染まっていき、ただジョルノの思うまま動く道具のようになっていくのかもしれないと思うと、ジョルノは強い恐怖を覚える。組織を回していくのに十分な体制が整うまでに、自分の手でミスタの心を完全に殺すときが来てしまうのではないかと、気が気でなくなることが増えていた。
「労ってくれよ……か」
 出掛けのミスタの発言を思い出す。軽いノリであったとはいえ、思えばこれまで、彼がそういう旨のことをジョルノに言ったことはなかった。
 特に何も考えずに発した一言だったのだろうか。それとも、そろそろ限界だという旨をジョルノに訴える、ミスタなりのSOSだったのだろうか。
 深読みをすればきりがない。なんにせよ、ミスタとは一度向き合ってゆっくり話をする必要がありそうだ。できれば今日がいいだろう。単純に忙しいのと、多くを語らずとも息が合ってしまうのが裏目に出て、近頃はあまり会話もできていなかったように思うから。
 卓上カレンダーを元の場所に置くと、ジョルノは気持ちスピードを上げて、事務仕事を再開した。デスクの上で亀から半身を出したポルナレフが、月が遡ったままのカレンダーを見やり、やれやれとばかりに今月のページに戻した。