a sweet excuse - 3/3

「お、来た来た。おはよー轟」
「ったく、なんで今日に限ってちょっと遅いんだよ」
 土曜の朝。始業時間の五分前に一年A組の教室のドアをくぐった轟に、上鳴と瀬呂が小走りに寄ってきた。
 机に鞄を置いて、轟は席に着く。確かに、諸事情により今朝は普段より登校が遅れた。その諸事情に大いに関係するクラス委員長の席を窺い見れば、席の主は涼しい顔で今日提出する課題を確認していた。昨夜轟の上やら下で押し殺しきれない声を漏らし、散々劣情を煽ってきたのは誰だったのかといったところだ。
 少し考えてから上鳴と瀬呂に「寝坊した」と言うと、「だろうな」と失礼なほどすんなり納得された。釈然としないが結果オーライだ。
 それで会話は終わったと思ったのだが、二人は轟の席の近くを離れない。それどころか、轟が来たことに気付いたらしい峰田と砂藤も寄ってきた。昨夜の茶会のメンバーに囲まれ、轟は眉のあたりにかすかに怪訝さを滲ませて「……ん?」と小さく首を傾げた。
「いやいやいや、『ん?』じゃないだろー! 轟ぃ、昨日俺らに言ったこと忘れたのか?」
「明日には答えられるように頑張る、って言ってただろ?」
「何の話だ」
「え、マジで? 俺らあんなに笑い死にしそうになってたのに……」
「てめー轟! 忘れたとは言わせねーからな! オイラが思い出させてやるよ!」
 憤慨したように声を上げた峰田が、次の瞬間スッと轟に身を寄せ、「……真面目なやつほど?」と耳打ちしてきた。ああ、と轟は小さく声を上げる。茶会のあった昨夜から今朝までの間にインパクトのあるイベントが挟まったせいですっかり忘れていた。やりとりの詳細を思い出し、轟は「……えろい」と峰田の言葉尻を引き継いだ。
「そーそー、『真面目なやつほどエロい』な。どう思うよ轟? おまえの返答次第でこの意見のもつパワーが決まるんだから慎重に答えろよ」
「パワーを得たところでどうなるのか謎だけど、そういうことだ」
「轟よぉ、今さらかっこつけんなよー?」
「ここまで引っ張られたら俺も気になる」
 四人にじりじりと詰め寄られ、談笑していた芦戸ら女子に「え? 轟いじめられてんの?」と遠巻きに見守られながら、轟は考えた。
 轟もいち男子なので、峰田らのいうエロいというのがどういう概念なのかはもちろんわかる。だが、それと真面目さが結び付くかというとどうにも違う気がする。
 ──と、昨日の茶会ではここまで考えて「わからねえ」と匙を投げた。
 そうだ、あの茶会の後のことを判断材料に加えてみてはどうだろう。轟はひらめいた。峰田が八百万に感じるような体つきにフォーカスしたエロとはまた違うが、頭がよく真面目な飯田と、まさにエロいことをしたじゃないか。
 とはいえ詳細を思い起こすと体の一部が反応しそうなので、轟は飯田の部屋を訪れてから行為に至るまでの段階を中心になぞってみた。
 まず部屋に入って間もないうちに「明日は学校だぞ」と釘を刺された。マドレーヌを渡すと嬉しそうにしていたが、食べるまでにやや不自然な間があった(飯田のことなので、夜にお菓子を食べるのは主義に反するとでも思ったのだろう)。結局すぐ食べることを選び、なぜか轟に許可をとった上で、行儀よくマドレーヌをちぎって一口目を食べた。混ぜ込まれたオレンジピールに気付いて感心していた。二口目は何やら物憂げな顔で食べ、最後の一口もその大きな口に放り込むのかと思いきや、こちらに差し出した。「俺ばかり食べるのはさみしい」。「さみしい」という言葉が飯田から発せられたことになぜかどきりとして、動揺を悟られないように口でマドレーヌをさらった。飯田の指に唇が当たったとき、その大柄な体躯にぐっと力が入ったことに気付いていた。手招きをしたとき、本当は飯田の口元には何もついていなかった。騙してベッドに引き倒したら怒られた。おまえが乗っているからどけない、最初からこうするつもりで来た、あんな出迎え方をされれば悪いことをしたくなるに決まってる、とお粗末な屁理屈を並べて駄々をこねれば、飯田は言い返せなくなった。最後に「何もしないで帰るのはさみしい」と本音を漏らした轟を、飯田は何かに耐えるような、切ないというには多分に色を含んだ顔で見下ろしていた。それから轟の肩口に顔を埋めて、ずるいよきみはと力なく轟を責めて──
 轟はそこで具体的な回想を打ち切った。これ以上はいけない。
(……うーん)
 結局、真面目さなど関係なしに、ただ昨日の飯田との苦しくも愛しい時間を思い起こして終わってしまった。
 逆に普段の飯田が不真面目だったら、と仮定を試みるも、それだと昨日と同じ展開にはならないだろうとすぐに気付いた。ではやはり、飯田は峰田らのいう『真面目なやつほどエロい』に該当するということになるのだろうか。
「轟まだかよ」
「イエスかノーでいいからさ」
「エロいと思うか別にエロくないと思うかの二択だろ!? シンプルじゃねーか!」
 まさか轟が同性相手の実体験を踏まえて真面目とエロの関係性について考えているとは夢にも思わない茶会メンバーは、時計と轟を交互に見ながらせっつく。
 轟が考えをまとめきれないまま、とりあえず肯定寄りの意見を言おうと口を開きかけたときだった。
「君たち!!」
 バンと机を叩いた飯田が席を立ち、つかつかと轟の席に歩み寄ってきた。五人揃ってやばいという顔になったが、轟と他四人では「やばい」と思った理由が違ったのは言うまでもない。眼鏡のブリッジを押し上げた飯田はまなじりを吊り上げ、ぶんと勢いよく両手で空を切った。
「朝からエロエロエロエロと! ここは神聖な学び舎だぞ! 話題には気をつけたまえ!」
「おまえが一番エロエロ言ってるからな!? 声でけーし!」
「わ、悪かったって飯田……そんな怒んなよ」
「なんだよー、思春期男子らしい会話させろよー」
 三者三様の反応を見せる上鳴、瀬呂、峰田をまとめかねた砂藤がおろおろしていると、修羅の面持ちだった飯田がふと彼に向き直った。
「……そうだ、砂藤くん」
「え、俺? な、なんだ?」
 身構えた砂藤だったが、意外にも飯田は怒りの表情を引っ込めていた。轟は机の上で腕を重ねたまま黙って飯田を見上げている。
「……昨日、轟くんに君が作ったマドレーヌを分けてもらったよ」
「あ……おお、そーなのか轟」
「ああ」
「君はすごいな、店で売っているものと遜色なかったよ。うまかった。今の件は感心しないが……ともあれ、ごちそうさまでした!」
 話題が逸れたと見るや否や、他の三人もここぞとばかりに乗ってきた。
「あー! 轟おまえそんなことしてたのかよ! おかげで俺はひとつしか食えませんでした!」
「まあまあ、ひとつ食えたならいいじゃねーか」
「三つ食った奴が言うな」
「オイラ今度はぶどう味がいいな。レーズンでもいいよ」
「いやあ、飯田も食ったのかよ。なんか自分の知らねぇとこで食われてると思うと照れるな……えーと、お粗末さまでした」
「うむ!」
 ついさっきの怒りなどもう忘れたかのように輪の中で朗らかに笑う飯田を、轟はなおも見ていた。厳密に言うなら、飯田の首元を。
 クラス委員長の品行方正さを体現するかのような、きっちり留まったシャツの第一ボタン。それが今日は都合よくセックスの名残を隠しているなんて、誰が思うだろう。
 そう思ってひっそりと笑んだとき、轟ははたとひとつ瞬いた。
 ──そうだ、飯田は真面目なやつなんだ。
 真面目で、四角四面で、信じられないくらい堅物で。教室での密かな猥談だって許してくれない。それなのに、飯田は俺に抱かれるんだ。こんないやらしいことはだめだ、という顔をして、最後はそれしか知らないように、身も世もなく俺の名前を呼んで。
 そして翌日は、きっちり着込んだ服の下に全てを隠してしまう。性のにおいを微塵も感じさせない。この優等生の丸裸の姿を知っているのは、俺だけ。
「──また近いうち何か作ると思うしよ、そんときはおまえにも声かけるぜ、飯田。よかったら来いよ、夜のお茶会」
「ありがとう。……しかし、夜なのか。俺は夜はだいたい本を読んでいるから、参加できないこともあると思う」
「そっか。なんなら時間早めるか?」
「いや、大丈夫」
 轟の視線の先、飯田の手がふいに動く。いつもの目を引くような鋭い動き方ではなく、ごく自然に持ち上げられた右手は、がっしりとした首に添えられた。轟はごくりと唾を飲み下す。昨夜の轟が、噛みつくようにひときわ赤い痕を残した場所だった。
「そのときは、また後で部屋に持ってきてもらうよ」
 砂藤を見ていた飯田が、視線だけを流してこちらを見た。眼鏡のレンズを通さず向けられた眼差しに、濡れて蕩けた昨日の目の色を見た気がした。
「……轟くんさえよければ、だが」
 ごうごうと吹き荒れる暴風のような血流の音に混じって、始業を告げるチャイムの音が遠く聞こえた。担任の相澤が教室に一歩踏み込むと同時に、思い思いの場所に散らばっていた生徒たちはさっと自分の席につく。少しばかり未練のある様子で轟を見てから席に戻っていった峰田らに先駆けて、飯田も大股に轟の席から離れ、背筋を伸ばして自分の席に座っていた。轟はひとつ息をついた。
 いやらしいことに目くじら立てて不埒だ不健全だと怒るくせに、轟とはセックスをしていて。
 轟くんががっつくから仕方なく、というスタンスを貫くのかと思ったら、あろうことか級友の前であんな目をして、遠回しに誘いをかけてきて。
 日頃お堅く真面目だと、何かあるたびいちいちその真面目さと対比になるのだ。巷で「ギャップ」と呼ばれるその現象の破壊力に、轟はようやく気付いた。恐ろしい特性である。本人に自覚がなさそうなところがたちが悪い。
(きみはずるいなんて、昨日よく俺に言えたもんだな)
 真面目なやつほどエロくて、ずるい。
 それが、轟が最終的に至った答えだった。深く突っ込まれると困るので、峰田らには当たり障りなく「確かに真面目なやつほどエロいかもな」で済ませよう。
 飯田はというと、相澤の話に勢いのついた挙手で割り込み何やら質問している。いつもの光景だった。きっとこの後ろ姿だって、夜には情欲を掻き立てるスパイスに変わってしまうのだろう。
 はきはきとした飯田の声に相澤ののんびりとしただるそうな声が被さり、けらけらと笑い声が起こる。相澤の言うことにはつらつと頷く飯田の首元、白い襟から赤い痕が覗きやしないかと見張りながら、轟は考えていた。次の夜の茶会はいつにしてもらおうかと。