Time Starts To Move - 2/3

 カーテンの向こうで人影が傾いでいくのを、物陰に潜んだミスタは銃を構えたままじっと窺っている。部屋の中の様子をピストルズが見に行き、すぐに戻ってきて「死ンデルゼ」と報告してきたのを聞くと、ミスタは「オーケー」とつぶやいて、硝煙の立ち昇る銃を無造作に下ろした。
 パッショーネのシマで若者に麻薬を流すという真っ黒なことをやっておきながら、ろくに遮光もされないような薄いカーテンのかかった部屋で一人生活しているという、どこまでもナメくさった奴だった。
 元気の有り余っているピストルズのために、部屋にいる男の居所の報告役や見張り役、銃弾のシュート役などそれぞれに活躍の場を作ってはやったが、ミスタひとりでも問題なく片付けられたに違いない。カーテンに透けた頭を狙って、向かいのアパートの一室から一発撃ち込み、それで終わり。バイクでの移動を挟みつつ、似たような暗殺を今日は三度やった。スタンド使いがいなかったこともあり、実にあっけない任務だった。この倍は軽くこなせそうだが、四人目に殺す奴がいてはならないことをジョルノはよく知っているので、ミスタに一度に課される暗殺仕事や外回りなどは何でも三件が上限だ。理解のある上司で助かると、常日頃からミスタは思っている。
「モウ終ワリカァ? ミスタァ」
「おー、今日の仕事はこれで終わりだ。おめーらのおかげですぐ済んじまったぜ」
「ヘヘッ、チョロイモンダゼェッ!」
「ネーネーミスタ、腹減ッタヨォ。甘イモノガ食ベタイナァ〜」
「本部に戻ってからな。ジョルノが待ってる」
「エエ〜」
 口々に不平を漏らすピストルズを無理やり引っ込めて(もう今日は戦闘もないのでいくらヘソを曲げられたって問題ない)、ミスタは部屋を出る。裏手に駐めていたバイクからヘルメットを取って鍵を差し、エンジンをかける。冬の初めの外気にさらされていた革張りのシートが、またがった尻や内ももを冷やした。
 両足を地面について車体を立たせたまま腕時計を確認すると、アナログの針は四時三十分を差していた。ミスタは一瞬顔を引きつらせたが、夕方四時は十六時なので許容範囲だと自分に言い聞かせる。そうしなければろくに日常生活も送れない。
 そろそろ午後のおやつの時間だ。ピストルズも騒ぐわけだと納得し、ミスタはバイクのエンジンを吹かしてアパートの敷地を出た。
『シエスタは済ませましたか? 何か食べた?』
 出発前に問いかけてきたジョルノの表情と声が、脳裏に蘇る。ピストルズのことかと思ったそれはミスタに向けられた発言で、子どもでもないのにそんな心配をされたことがこそばゆくて、ミスタはついぶっきらぼうな返事をしてしまった。
 ジョルノのああいうどこか的はずれな気遣いは、今に始まったものではない。どうも彼には直属の部下であるミスタをこき使っているという思い込みがあるようで、その罪悪感や申し訳なさを薄らげるかのように、唐突にミスタの身を案じる発言をすることがある。たいていは今回のような暗殺や、ハードな任務を命じてくる際とセットなのでわかりやすい。いつもタイミングこそ不自然だが、その表情や声音から、本気でミスタを気遣ってくれていることは伝わってくる。
 とてつもない野望を胸に、高校生の身分でギャングのボスをそつなく務め、怖いものなんて何もないかのような生き方をしているように見えるジョルノ。その一方で、彼が他人の言動や顔色を人一倍敏感に察知する繊細さを併せ持っていることを、ミスタは知っている。パッショーネを乗っ取ってからの八ヶ月間、彼のそばで過ごしていれば、嫌でもわかることだった。そして正直ミスタは、ジョルノのその性質が苦手だった。
 そのうち、正しく見抜かれてしまうのではないかと思うからだ。ミスタが常に忙しいのはジョルノの人遣いが荒いからではなく、そうなるようミスタ自身がさりげなく仕向けているからだということを。すすんで仕事の鬼と化している本当の理由を。上司であるとはいえ、若干十六歳の少年に真実を見抜かれることは、ミスタの年上としてのプライドが許さなかった。
 住宅街から右折し、大通りに出る。このまま郊外まで突っ走れば、パッショーネの本部である屋敷に到着する。行きつけにしていたリストランテが道沿いに見えたとき、ミスタは無意識にきつく下唇を噛み締めていた。
 今日、ミスタは十九歳になった。去年の今日、あのリストランテで誕生日を祝ってくれた仲間たちは、もういない。
 ミスタがブチャラティチームに属していた期間は一年半にも満たないが、毎日のようにともに命を張り、くだらない話で笑い合い言い争っていた仲間たちの存在は、今でもしっかりミスタの中に残っている。胸の中にぽっかりと空いた、底の見えない大穴として。
 ミスタはその穴を埋めることはしない。埋めようと穴のそばに寄り、一度でも覗き込んでしまえば、自分はきっとそれきり身動きがとれなくなるだろうという思いがあった。だからミスタは、ボスであるジョルノからひったくる勢いで次々血なまぐさい仕事を引き受け、休みなく駆け回って穴から目を逸らすことを選んでいる。
 しかし、そうしていくら距離をとって見ないふりをしたところで、手つかずの大穴は当然勝手には埋まらない。変わらず胸の中に在り続け、ふとしたことをきっかけに、ブラックホールのような引力をもってミスタを引き寄せようとする。
 誕生日。リストランテ。穴が引力を増す材料として、それらはあまりに強力だった。ミスタはいつの間にか近付いてしまった穴からまた距離を取るように、バイクを加速させ、リストランテの前を通過した。

 しばらく走ったところで目の前の信号が黄色から赤になったので、ブレーキを握って停止した。腕時計に視線を落とす。なめらかに動く秒針がちょうどゼロを通り過ぎ、時刻は四時四十三分になったところだった。十六時だから大丈夫という自己暗示も忘れ、げ、とミスタは顔を歪める。
 そのとき、巨大な空気の塊のような突風が横から吹きつけた。ミスタの後ろにいた大型トラックが大胆に信号無視をし、停止したミスタのバイクの脇を猛スピードで走り抜けていったのだ。時刻に気を取られていたミスタはバランスを崩し、バイクごと歩道側に派手に転倒した。
「いっってぇー……クッソ、どっかで事故れッあのトラック!」
 恨みがましく毒づきながら、ミスタは倒れたバイクの下から抜け出す。縁石に打ち付けた右半身は痛むが、寒いからと着込んでいたことが幸いしてかすり傷ひとつない。バイクのほうも、ミスタを下敷きに倒れたおかげで目立った傷はなさそうだ。
 ツイてない。まだ四十四分にはなっていなかったのに。
 重たいバイクを起こそうと腕を持ち上げたとき、左の手首のあたりでじゃりっと音がした。ミスタは一瞬固まって、そっと左手首を顔の前にかざす。薄く細かいガラスの破片が、アスファルトの上にぱらぱらと落ちていく。
「あ……」
 バイクの重みを受け止めた腕時計のガラスが割れて、文字盤が大きくひしゃげていた。秒針は取れて、長針と短針は四時四十三分を指した状態で止まっている。歪んで端の浮いた文字盤の下、目に見えてずれた歯車は微動だにしない。
 信号が青に変わり、倒れたままのミスタのバイクを避けながら、後続車が次々走り抜けていく。

『ミスタ、誕生日おめでとう。これはオレたちからの贈り物だ』
『へへっ、オレらみんなで選んだんだぜー! 金出したのはブチャラティだけどッ』
『もうォー、ナランチャ、品がないですよ。そういうことは贈る相手に言うもんじゃあないでしょ』
『秒針がコチコチ鳴らねーから、暗殺の邪魔にもならねーはずだ。ブチャラティに感謝するんだな』

 去年の誕生日にリストランテで向けられた親しげな眼差しと言葉たちが、鮮明に蘇る。バイクを起こすことも忘れ、ミスタは縁石に座ったまま、しばらく壊れた腕時計を見つめていた。

 執務室のドアをノックすると、中からすぐに「どうぞ」と返事があった。
「失礼します」
 ドアを開け、いつもそうするようにその一言だけを慇懃に発して、ミスタはジョルノの待つ執務室に入った。ジョルノはデスクの上に両手をつき、身を乗り出すようにしてミスタを出迎える。
「ご苦労さまでした。早かったですね」
「おー、寄り道しねーで帰ってきたからな。全員始末したぜ。清掃もいつものとこに頼んである」
「ベネ。さすがです」
 微笑んだジョルノの視線が、デスクに報告書を置いたミスタの頭のてっぺんからつま先までをたどる。ミスタはかすかに緊張した。怪我はしなかったし、壊れてしまった腕時計も、余計な詮索をされないように外してポケットに入れてある。それでもジョルノに観察するような視線を向けられると、やはり居心地が悪い。誤魔化すように、大きな動作で応接ソファーに腰を下ろした。
「……手こずりましたか?」
「いんや? 全然。スタンド使いでもなかったし、狙って撃つだけだった」
「そう」
 沈黙。少し開いたジョルノの口元を、空気が行き来するのがかすかに聞こえる。何か、言おうとしている。座ったそばから立ち去るのも不自然な気がして、ミスタはソファーにより深く座り直す。おもむろに腰から銃を抜き、意味もなくシリンダーを手で回した。
「ミスタ」
「んー?」
 デスクのほうから、カツカツと革靴の足音が近付いてくる。応接テーブルを挟んだ正面に座ったジョルノを、ミスタは顔を上げて見た。
「……本当に、お疲れ様でした、今日も」
 ぎこちなく発せられた言葉にミスタはきょとんとして、それからふ、と小さく笑った。労ってくれているのだ、出掛けのミスタが言ったことに律儀に応えて。ジョルノらしい生真面目で不器用な労いは純粋に嬉しく、そして少し照れくさい。
 何か軽口で応じようとしたミスタだったが、ジョルノの様子に思わず開きかけた口を閉じた。ミスタを見つめ返すジョルノは、思いつめたような強張った表情をしていたのだ。
「ジョルノ? どうし」
「ミスタ」
 問いかけを遮ってミスタの名を呼んだ声は、ひどく掠れていた。八ヶ月前にナランチャの死を伝えてきたときの彼の声を思わせ、ミスタの背中に冷たい汗が浮かぶ。
「ごめんなさい」
 何を伝えられるのかとミスタが身構える間もなく、無駄な時間を嫌うジョルノはすぐに次の言葉を発した。ミスタはジョルノを見たまま数度瞬いて、「なにが?」とだけ言った。心の穴が広がったり増えたりするような気配は感じられなかったのでとりあえず安堵はしたが、まさか突然謝られるとは思わなかった。なんかジョルノに謝られるようなことされたっけと記憶を巡らせてみるが、全く身に覚えがない。
 ピンときていないミスタに構わず、ジョルノは静かに言葉を続ける。
「最近、思うんです。コロッセオで、きみと一緒に未来を拓きたいと言ったけど……実際のところ今のぼくは、自分の夢を叶えるためにきみの人生を食いつぶしているんじゃあないかって」
 教会の懺悔室で、幕の向こうの神父に己の罪を懺悔する信者のように、ジョルノはぽつりぽつりと打ち明ける。ミスタとの間に、幕はない。苦しげに歪んだ美しいエメラルドの瞳が、ミスタの姿を真正面から映している。
「きみはいつも、忠実でいてくれる。ぼくがいつ何を命じても、必ずやり遂げてきてくれる。それが、ぼくはときどきすごく怖いんだ」
 両肘をテーブルにつき、ジョルノは目を閉じる。伏せられた金のまつげの端が、かすかに水気を帯びてきらきらと輝いている。
「ろくに休みも取らせないで、息をつかせる間もないくらいきみを都合よく振り回して」
「…………」
「……きみについてきてほしいと思ったのは、きみを道具とか犬みたいに使うためなんかじゃあなかったのに」
 独り言のようにそう続けられた声があまりにも苦しげで、ミスタは眉根を寄せた。単身でひとりでに発現したNo.5が、ジョルノのそばをふよふよと漂って、きらめきを増したジョルノの目尻のあたりをそっと手で拭っている。
 ジョルノがうつむいたまま何も言わなくなったので、ミスタはゆっくりと口を開いた。
「ジョルノ」
 向かいから顔を覗き込むようにして呼びかけると、ジョルノはのろのろと顔を上げた。目の周りと鼻の頭がうっすらと赤くなっている。真一文字に引き結ばれた唇がいじらしくて、ミスタの喉をわずかに詰まらせる。
「オレは今日までいっぺんも、おめーに自分の人生を食いつぶされてるなんて思ったことはねーよ。確かに誘ってきたのはおまえだったけど、ついていこうと決めたのはオレだ」
 嘘偽りのない本音だった。
 ブチャラティとジョルノの間に何か特別な事情があるらしいということは、まだチーム全員が生きていたときから薄々感じてはいた。コロッセオでブチャラティを治しに行こうとしなかったジョルノを見て、その予感は確信に変わった。問い詰めてもジョルノが口を割らず、もしかしたらこいつのせいでブチャラティが死んだのかもしれないという疑惑に駆られてなお、ミスタは心のどこかで、自分はもう二度とこの男から離れることはないのだろうと思っていた。
 ブチャラティの葬儀の日、ジョルノは旅の真相の全てをミスタに語った。
 そのときミスタは、なぜそれをコロッセオで言わなかったんだとジョルノに問うた。
 するとジョルノは、「ブチャラティに口止めをされていたんです。だから約束を破るなら、せめて彼を弔ってからにしたかった。……ぼくの気持ちの問題です」と、少し憂いを帯びた声で答えた。ミスタがジョルノに自分の人生を委ねようと決意するにあたり、これは決定打となった。
「それから……オレがいつもバタバタしてんのは、おまえの采配に問題があるからじゃあねー」
「でも、ぼく以外に誰がきみに仕事を振ってるっていうんです?」
 気休めはよせと言わんばかりに割り込まれ、ミスタは思わず言葉を切る。強い口調とは裏腹に、こちらを見るジョルノの瞳は悲しげだ。黙って話を聞いているばかりでいたことを、ミスタは悔いた。今ジョルノがそうしたように、先ほどの彼の独白に割り込んででも、早くこちらの言い分を聞かせてやればよかった。
「オレが自分から、おめーに仕事を振られるように動いてんだよ」
「きみが……?」
「うん。おまえから見えるこのソファーでいつもスタンバってんのも、頼まれた以上のことをやって帰ってくんのも、全部オレの意志。オレの都合だ」
 ジョルノの目が胡乱げにすがめられる。見るからに納得していない。ミスタは顎に手を当てつつ、多くはないボキャブラリーから適切な言葉を探す。
「あー、えっと、そうだなぁ〜……すすんでバタバタしてるけど、それはおめーのためじゃあねーっていうか。だからオレが忙しそうにしてるからって、おめーが気に病む必要は全然ねーんだよ」
「ぼくのためではない?」
 一番まずい言い回しをしてしまった部分に、ジョルノは即座に食いついてくる。彼の纏う空気が一気に緊迫したものに変わったのを肌で感じ、ミスタは慌てて両手を振った。
「あーっ、違う違う! オレがどっかと内通してるとか、そういう意味じゃあなくてだなあ!」
 焦るあまり怪しすぎる返答を重ねてしまったにも関わらず、ジョルノはそれだけで目に見えて緊張を緩めた。声を抑えて、とでも言いたげに、自分の唇の前に人差し指を立ててくる。
 他の組員が少しでも不穏な物言いをしたら、すぐに蔦で縛り上げて拷問めいたことを始めるのに。あのジョルノ・ジョバァーナが、少し無防備すぎやしないか。それほどまでに、オレを信頼しているのか。理由を隠したまま休みなく飛び回って、そのことでおまえを思いつめて謝らせ、泣かせてしまうくらい不安な気持ちにさせている、このオレを。
「ジョルノ、オレさ……」
「はい」
 全て打ち明けるつもりでミスタが切り出すと、ジョルノが待っていましたというような顔で、先を促すように相槌を打った。改めて見てみると、白い陶器のようなジョルノの肌はところどころ荒れてかさついていて、涼し気な目元にはうっすらと青黒い隈ができている。
 若くしてボスの座に上り詰めた男であるとはいえ、まだ高校生になったばかりの少年だ。ミスタには計り知れないような重責と戦い、大人たちに囲まれて孤独を感じることも多々あるだろう彼に、どうして告げられるだろう。仲間がみんないなくなってしまって悲しかった、おまえに心配かけてでもがむしゃらに働いていなければ、気が紛れなかったんだ、なんて。
 ミスタは一度、唇を引き結んだ。それからニッ笑って、「オレさあ」と今度は明るく言った。
「誕生日なんだ、今日」
 ジョルノの形のよい目が真ん丸く見開かれた。続いて唇がぽかんと開き、そこから「へっ?」と、およそ彼らしくない短い声が発せられた。
「な、なんですか、急に……はぐらかさないで」
「はぐらかしてなんかないぜ〜。最初っからそう言おうとしてた」
「何言って……ていうか、誕生日? きみの? マジで言ってる? それ」
「マジマジ。十九になったの、オレ」
「そんな……」
 ジョルノの視線がデスクに向けられる。先ほどミスタの提出した暗殺任務の報告書が、そこにはある。
「言っておいてくれたら──」
「あ〜ッいいからいいから、細けえことは」
 ジョルノの瞳が曇る間を与えず顔の前で片手を振り、ミスタは座ったまま身を乗り出す。ポケットの中で、壊れた腕時計がチャリ、と小さな音を立てた。
 いつの間にかNo.5がミスタのそばに寄ってきている。引っ込めようとするが、No.5のくせに頑なにテーブルの上に居座っている。ミスタは仕方なく、卵を持つように丸くした右手で、小さな相棒をすっぽり覆ってしまった。それからジョルノを見て、言った。
「なあ。祝ってくれよ、ジョルノ」
 ジョルノはこちらを見たまま、ひとつ瞬いた。それからミスタのこんもりと丸まった右手を見て、再びミスタに視線を戻した。ひび割れて皮の剥けかけた唇が動いて、ゆっくりと開いた。
「誕生日おめでとう、ミスタ」
 ほころんだジョルノの瞳を見つめながら、ミスタは一言「グラッツェ」と返した。嬉しいのに、ジョルノに笑顔を返したいのに、唇の端が変に引きつれてうまくいかない。かすかに震える右手に、ミスタより少し小さいジョルノの左手がそっと重ねられた。やわらかく握り込んだ右手の中、指先にぽたぽたと温かいしずくが滴ったのがわかった。