※タイトルは診断メーカーより
カラン、とドアチャイムの澄んだ音が響く。
ロックグラスを傾けながら入り口のほうに視線を向けると、暗い路地裏を背景にしたミスタが立っていた。目が合ったぼくに笑顔でひらりと片手を振り、軽やかな足取りで店内に入ってくる。お気に入りだというブーツの靴底が、コツコツと床を鳴らす。近付いてくるその硬質な音にじっと耳を傾けていたいのに、かぶさってくる自分の鼓動がうるさくて仕方がない。
「いや、わりいわりい、遅くなった」
カウンターに片手をつき、身を屈めるようにしてこちらを覗き込んでくる黒い瞳。バーの薄暗い照明の下だと、光を宿さないその目はいっそう妖しく神秘的なものに見えた。この瞳を形容できる物質を、ぼくは未だ見つけられずにいる。きっと、この先も一生見つけられないだろう。黒曜石、黒真珠、ブラックホールだって、彼の瞳の美しさや底知れなさには到底及びもしないから。
ぼくのすぐ隣、高さのあるスツールに難なく腰掛け、ミスタはバーテンダーにボウモアのロックを注文する。
バーにいても、彼がカクテルを注文することはあまりない。四種類の材料が混ぜられているものを覚えて避けるのが面倒だからと前に言っていた。ウイスキーは年数だけを気にすればいいからその点ラクなんだ、銘柄は何でもいい、とも。極端でシンプルなその解決法はいかにも彼らしく、本人には悪いけどひどく微笑ましく思えたものだ。
「何か食った?」
「いえ、まだ」
「そっか。オヤジ、メニューちょうだい」
顔馴染みのバーテンダーは「あいよ」と気のいい返事をして、カウンターの向こうからミスタにメニューを差し出す。身を乗り出して受け取ると、ミスタはガラスの灰皿を端によけつつメニューを広げた。
意外にも──と言ったら失礼かもしれないけれど、ミスタはタバコを吸わない。いわく、「あんなもんに力を借りなくたってオレはカッコいいから」とのことだ。本気か冗談かわからないが、結果としてミスタはカッコいいので、ノンスモーカーを貫いているのは正しい判断といっていいのかもしれない。もっとも、仮に彼が今タバコを燻らせながらメニューを眺めていたとしても、それはそれでとびきりカッコいいのだろうけど。
先のまるい指先で、ミスタはメニューのページをめくる。「いつもこればかり食ってる気がする」「こっちはそういや食ったことねえなぁ」とぶつぶつ言いながらメニューを吟味する真剣な目元が、銃を手入れするときのそれと大差ないのが可笑しい。思わず息だけで笑ってしまったけれど、ミスタにそれを気にした様子はなかった。
「やっぱ、いつものトリッパのトマト煮かなあ。それからこの、クリームチーズの味噌漬けってやつ。オレ味噌ってたぶん食ったことねえし……そんで、あとでティラミスも食いてえ」
一息に言ってからミスタは片手のグラスを傾け、大きな氷の沈んだウイスキーを一口飲んだ。タートルネックからのぞく喉仏が、嚥下に合わせてごろりと上下する。
今とは全く違う状況で、彼の喉仏が同じように動くときがあるのをぼくは知っている。赤い顔でぐったりして、潤んだ目で力なくぼくを見上げて、時間をかけて呼吸を整えてから唾液を飲み下す瞬間が、彼にあるのを知っている。
「おまえは何が食いたい?」
メニューを開いたまま、ミスタがぼくに問う。酒に強い彼は、ウイスキーのロックのニ、三杯くらいではまず酔わない。一口しか飲んでいない今、真っ黒い瞳は揺るがず真っ直ぐこちらに向けられている。でもそのつるりとした表面に、ぼくの姿を映りこませてくれてはいない──まだ。
濡れた唇をさらった舌先に、首の後ろがぞくりとした。
「言っとくけど、いらねーってのはナシだぜ。オレとピストルズは腹が減ってんだから、付き合えよォ」
きみにうまい酒を好きなだけ飲ませて、それからぼくはここのメニューにないものを食べたい。
そう強く思ったぼくの気持ちを知ってか知らずか、ミスタはちょっと眉を寄せて、手元のメニューをぼくに押しやった。