今はせいぜいよく眠れ

 なあ、ちょっと変なこと聞くけどよ。
 お前、しおえもんじろうって知ってるか?
 そう、人の名前。「しおえ もんじろう」。
 えーと、漢字だと…もんじろうって一発で出ねえんだよなあ……あー、この字、「潮江文次郎」。
 …えっ、知ってるのか!? ……なんだよ知らねえのかよ。
 うーん、でも、そうだよな。聞いといてなんだけど、知ってるわけがねえと思う。検索しても…ほら、姓名診断のサイトぐらいしか出てこねえし。
 いや、ほんとに変な話なんだが……俺はその、潮江文次郎が誰かに刺されて死んだのを、夢で見たことがあるんだ。
 死んだくせに、次にまた夢に出てくるときは生きてるんだよ。どうも、見るたびにちょっとずつ時間が戻っていってるみたいなんだ。
 何回目かで誰かに手紙を書いてて、それで、こいつ潮江文次郎って名前なんだってわかった。和紙に筆で書いてるし、部屋の明かりは皿の油に火つけたやつだし、時代劇みたいだなと思った。
 俺んとこ、親父が時代劇好きでよ。俺もよくそばで見てたんだ。だから昔のやつもけっこう知ってるんだが、潮江文次郎なんて奴が出てくるのは見たことなかった。検索しても出ねぇわけだしな。
 ……悪い。くだらねぇ話だな。やっぱり、この話は聞かなかったことに──え、気になる?

 潮江文次郎がどうやって死んだか?
 夜の林みたいなところで、背後からこう、グサッ、だ。
 あれは刀かな、多分。胸から刃先が出てた。夢だから痛くはないんだが、視界が揺れる感じとか、倒れた地面に血が広がっていくのとか、けっこうリアルだった。刺した奴の顔も確認できないうちに目の前が真っ暗になって、死んだんだな、ってなんとなくわかった。
 そうそう。この夢、ずっと文次郎の視点なんだよ。初回がこれだったから、起きてからもしばらく心臓がバクバクしてたぜ。

 ……手紙の宛先か。それはわからなかったな。けっこう場面が飛び飛びだから。
 あーでも、手紙の最後に「火薬の匂いが恋しい」って書くのにすげえ時間がかかってたのは見たな。何だったんだあれは。そんな悩んで書くことでもないと思うんだが。
 もしかして、何かの暗号だったとか? あり得るな。言い忘れてたけど、どうも忍者みたいなんだよ、潮江文次郎って。

 

「なるほど。……ところで、どうしてお前は、私に潮江文次郎の話をしようと思ったんだ?」
 続けてそう尋ねると、目の前の男は眉間を揉みつつ「どうしてだろう」とつぶやいた。うーん、と唸りながら、手元のコーヒーを一口飲む。冷たくなるまで放置することはしないようだ。
「なんか、お前に聞いてほしくなったんだよな」
「ほう」
「でも、そんな真剣に聞いてもらえるとは思わなかった。お前、こういうオカルトみてえな話好きじゃなさそうだし」
「お前が話すオカルト話ならいくらでも聞いてやる。なかなか興味深かったぞ」
「そうかよ…そりゃ、何よりだ」
 今後また潮江文次郎の夢を見たら詳細に教えろと私が言うと、奴は仏頂面をわずかに染めつつ「おう」と応えた。
 あのとき。下手に照れ隠しをするせいでかえって詩的になっていたあのふみを読んだとき。脳裏に浮かんだのはこの表情だった。
 数百年後にまたこうして真正面から拝めるとわかっていたなら、あの時代の私も少しは浮かばれただろうか。

 途絶えた文を静かに憂え続ける人生だった。
 忍務の傍ら探し回ったが、私はついぞお前を見つけられなかった。
 林をもっとよく探せと、あのときの私に言ってやりたい。首でも亡骸でも拾えていたら、私の手で整えてやれていたら、今世のお前にはそんな隈はなかったかもしれないな。

「夢を見るたび少しずつ時間が戻ってる、と言っていたな。今はどういう状況なんだ? 潮江文次郎は」
「ああ、入社式みたいなのに参加してたぜ。どっかの城の忍軍に就職したらしい。入社式とか就職とか、ほんとかよって感じだが。夢ってそのへんカオスだよな」
 そのうち忍者の学校なんてのも出てきたりして。
 冗談めかしてニヤッと笑う悪人面に、「出てくるぞ」と言いそうになるのをぐっとこらえた。
 こいつの見る奇妙な夢が、一日も早く更新されることを願う。
 忍者の学校がほんとにあるとわかったら、お前のそばに一番よくいる男の顔をよく覚えておいてほしい。起きてからも、忘れずにいてほしい。そうしたらきっと、ずっと見てきた夢の正体がお前にもわかるから。

 そのときは今一度、お前をあのときの名で呼ばせてもらうぞ、文次郎。